みんな元気ですか
きのうの続き・・・
話題は変わる・・・
セーヌのの流れはセドナがあるアリゾナの河とかなり違う性質を持っている・・・
コロラド河は大自然の意識と共にある・・・
セーヌはそこに住む人びとの意識と共にある・・・
パリのような都会は自分が育った環境とはあまりにも違うのでラヒーリオはこの点にとても興味を持っていた。
同じ川なのにそれが持つ雰囲気が全く違う・・・。
それは流れが速いとか遅いとかじゃなくて川の水が持っている性質のようなもの・・・。
たくさんの人間の意識をセーヌは共有している。
人々はセーヌに集いセーヌに話しかける。
だからセーヌは人々の想いを写し取る。
写し取った想いをまたそこに来た人に語りかける。
チェリーはこう言った・・・
水は感情を写し取る・・・
人の想いをくみ取ってそれをまた人に与える。
恋の悩みをくみ取った川からはまた別の恋の物語が生まれる。
だから・・・セーヌは歌や戯曲を創作する母にもなれるの。
不安や怒りの感情を写し取る一方で・・・
流れる川にはとても救いがある。
・・・流れる川は強力な浄化作用を持つから。
人は川に話しかけるとなんだか気持が軽くなる・・・
気持ちが重かった人もまた元気がでる・・・
川の流れは時の流れと同じ・・・
時が経てば人は同じ感情を保つことは出来ない・・・。
反対に流れのない沼はネガティブな感情をそのままためる。
だからそのような湖や沼は危険な場合もある・・・
人を引きずりこむような力を持つ事もある・・・。
悩みがある人は沼には近寄らない方がいい。
カッパが出るかもしれない(←これギャグです・・・でへ)
感情を吸収するという面では芸術作品もとても力を持っている。
パリの街は政治的サポートがあるので芸術作品がとても多い。
人々の称賛を浴びた作品は意識を持つ。
さらにたくさんの人を集める。
そして時には自らの意思を持つようになる。
その自らの意思で旅に出る作品もある・・・どのような形であれ・・・。
僕にはなんとなくその意味することが分かった・・・
旅に出るためには過激な手段を選択する作品もあるってこと・・・
話をじっと聞いていたラヒーリオが口を開いた。
チェリーはどんな作品が好きなの?
彼女はこう答えた・・・
川の流れと同じ浄化の力を持つ作品があるのよ・・・。
それは作品自体が時の流れを表現しているもの。
というより作品自体に時の流れが封じ込められているもの・・・。
戯曲や歌にはこれが多くみられる。
時の流れが封じ込められた作品には・・・作者が敢えて・・・
鑑賞する人の感情が変化することを意図した作品もあるのよ。
彫刻や絵画にもこの種の作品は多い・・・例えばダ・ビンチとか・・・。
そのような作品には愛があるわ・・・。
もちろんマリア様とか天使を描いた作品もね・・・と。
そのうちのいくつかは自分たちがモデルとして描かれているらしい・・・
僕たちはジュンにお願いしてパリの街の美術館巡りをすることにした・・・
一つの見方をおぼえた僕とラヒーリオはなんだかワクワクしてきた・・・
続きはまたね・・・
(芸術は作品を正面から見るだけじゃダメなんだよ・・・だから横から見てる僕)