徐福の夢 3 スサノオの尊(みこと)

みんな元気ですかドキドキ

前回の続き・・・グッド!

京都3大奇祭と言うのをご存じでしょうか。

奇祭と言うのは変なお祭りという意味ですが

その言われが謎に包まれていてしかも

お祭り自体が変わっているのです。

その3つのお祭りは

鞍馬の火祭

今宮神社のやすらい祭

それに

太秦の牛祭。

詳しくはウィキぺディアあたりに内容説明を譲りますが

この中でも以前「秦の始皇帝の野望」にも書きましたが

始皇帝と縁の深い太秦の事に触れたいと思います。

友達の風さんが再び教えてくれました。

「聖なる牛」と古代ユダヤの人々の関係はモ―ゼ以来

切り離せないのです。

古代エジプトのピラミッドなどの遺跡のなかに

聖牛の絵がいくつか見られます。

古代エジプトでは牛を聖なる存在としてあがめていました。

それはモーゼが率いたエジプトを脱出した民にも引き継がれていました。

アカバ湾から紅海を渡る前夜モーゼはシナイ山に呼ばれました。

モーゼを呼びつけたのはエホバの神です。

ちなみにこの神様はエホバ、ヤ―ウエなど名前がいくつかあります。

そのシナイ山の山頂でモーゼは例の聖櫃と十戒を授かるのですが

その時エホバの神に厳しく注意を受けたのが偶像崇拝でした。

モーゼは気付きませんでしたがユダヤの民は旅に出る時も

聖なる牛の偶像を一緒に連れて来ていたのです。

エホバの神は自分だけを信仰の対象とする事にこだわったのです。

このあたりの場面は大分前になりますがチャールトン・ヘストン主演の

映画「十戒」にも出て来ます。

エジプトでは聖牛を「コットイ」と呼んでいました。

実は日本でも四国の高知など一部地方では種牛の事を

今でも「コットイ」と呼びます。

風さんの話しでは徐福の一行がこの牛の事を「コットイ」と

呼んで非常に大切にしていたようです。

牧畜の技術を持っていた彼らは牛を飼って貴重なタンパク源にしていました。

牛を信仰の対象とすることはありませんでしたが人間の命つなぐには

当時これほど貴重な物はありませんでした。

特に種牛が大切にされたのは想像に難くありません。

一方日本には記録不詳な出自の牛の神様がいます。

その名を牛頭天王と呼び京都祇園社(現八坂神社)の

御祭神となっています。

その御祭神にちなむ祇園祭りは日本でも有名な夏の

お祭りの一つですが最大のイベントは山鉾巡行です。

巨大な山車(だし)が華麗な装飾をほどこされて

京都の町を練り歩きます。

数年前その装飾に奇妙な図柄を見たことがあります。

ラクダや砂漠や今の中近東のものと思われる絵柄の

刺繍のようなものがあるのです。

牛頭天王が中近東・・・つまりエジプトやイスラエルなど

関係が深いことを示唆しているような気がしました。

その神様こそ日本神話に出て来る素戔嗚の尊(スサノオのみこと)です。

この牛頭天王(または天王と単純に称される)は

東京の天王洲アイルなどの各地の天王の地名にもなりました。

この牛頭天王は「”ごず”てんのう」と呼びます。

風さんのお話しではこれは「コットイ」がなまって

コットゥになりそれがゴズになったのです。

ここで「スサノオの尊」がモーゼとつながったのです。

太秦の牛祭りは祇園祭りと起源が同じかも知れません。

太秦の牛祭りは広隆寺で同じ敷地にある大酒神社の

例大祭と同じ日に行われます。

広隆寺は秦氏の氏寺、景経(ネストリウス派のキリスト教)の寺院です。

大酒神社は大避神社・・・つまりダビデ神を祀る神社であることと

広隆寺が秦氏の古代キリスト教の寺院であることは

以前「秦の始皇帝の野望」で触れました。

それはまたスサノオが徐福とつながった事を意味します。

続きはまたね・・・グッド!

イッピーの独り言

(遥かなる時の流れを見つめるボク・・・あっ、牛さんがたくさん歩いてるあせる

ペタしてね

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