みんな元気ですか
きのうの続き・・・
きょうは再び見えない世界からのアプローチです。
日本古来の神道の世界ではキリスト教、イスラム教や
仏教のようにバイブルや経典と呼ばれる物がありません。
表立った神の教えというものがないように見えます。
しかしだからと言って神の教えがないわけではありません。
その昔・・・神に仕えるものはみんながその声を聞く事が出来ました。
ゆえに真実の教えのみが伝わったのです。
それは神の直接の言葉でした。
ご神言といいます。
書いたものは焚書等の弾圧に会えばその時点で教えは無くなります。
当時はコピーや写本などは容易ではありませんでした。
それに書いたものは書き変えられるリスクがあります。
もし書き変えられればその時点で神の教えではありません。
神の言葉として綴ってももはや人の教えです。
人の教えは権力と結びついて時の為政者の都合に合わせられます。
真言密教が秘であり密である秘密の教えを必ず口伝で弟子に
伝えるのもそのためです。唐の国で高僧恵果阿闍梨(けいかあじゃり)が
なみいる弟子をしり目に日本人である弘法大師にすべての経典を
伝授して託したのもこれが理由でした。
秘密の教えを人が伝える場合は一子相伝
(一人の弟子にすべてを伝えるの意)なんです。
神道は口伝以外にもメッセージを後世に伝える方法を見出しました。
神社の社殿の構造や建て替えの方法(遷宮)あるいは
ご祭礼の儀方や作法などにその秘密の暗号を隠しました。
例えば神様にお供え物をする三宝があります。
果物や農作物をその上に乗せて神前にお供えをします。
神様からいただいた実りに感謝の心を捧げます。
そのお供え物を乗せる紙は白い和紙を使います。
この紙は「うらじろ」といいます。
必ず裏表をひっくり返してお供え物を乗せるのです。
以前にも紹介しましたが・・・(こちら
)
ニギハヤヒが作った都の三輪山の大神神社の4月18日は毎年「鎮花祭」
(はなしずめのまつり)がとり行われ神前に薬草をお供えします。
「大同類聚方」と言う後世書かれた和方の医薬の書物に
大神神社に伝わる薬とその製法や効能が述べられているそうです。
おそらく日本で一古い大自然の実りに感謝するご祭礼だったと思います。
そして植物の薬理効能にも十分な知識をもっていたことが分かります。
もしかすると彼らは植物と会話が出来たのかもしれません・・・。
この時には三宝のうらじろは表にしてお供えをしていたのでは
ないでしょうか。
しかし・・・時を経て8世紀の初め古事記・日本書紀が成立するころ、
物部氏(ニギハヤヒの末裔)の一族は権力を藤原氏に奪われ・・・
そしてスサノオとニギハヤヒの実在の親子・・・
日本の黎明を切り開いた真の英雄達・・・
は実体のない神話の世界に祭り上げられてしまいました。
その時以来、おそらくこのうらじろの儀法が出来たと推測します。
ニギハヤヒを奉る人々は彼らの復権をこの呪法に・・・
一見その意味が全くわからない・・・
しかしだからこそ、この念の儀法が日本中で繰り返され
そのため念の力がたくわえられ知らず知らずにいつか強力な力が
爆発することになる、秘めた力いや増すこの呪法に込めたのではないでしょうか。
余談ですが・・・
陰陽師では呪法に紙をよく使います。
例えば呪をかける時に相手の形に似せた「ひとがた」のように・・・
言霊の世界では紙が神に通じます。
この「うらじろ」も最大の秘密の呪法だと想像します。
そこに込められた呪法と暗号の意味を思うと怨念の世界と言うよりは
彼らのはるか未来をにらんだ世界観が浮かび上がって来ます。
いつの日にか・・・遥かなる時を経て・・・スサノオ・ニギハヤヒの
大いなる龍が・・・燦然と虹色に輝く巨大な龍が・・・復権する時が来る。
思い起こせばこのうらじろの儀法は豊穣の神、大自然に実りの感謝を
捧げることに深く関係しています。
スサノオ・ニギハヤヒ共に治水感慨に遺憾なく新しい技法を用い、
同時に大陸から多くの植物の種や苗を運んで来ました。
それを運ぶ交易の水路の整備にも力を注ぎました。
遥かなる時を経てエジプト時代の祖先モーゼ・・・
そしてダビデ・・・秦の始皇帝・・・徐福・・・とつながった見果てぬ夢。
蓬莱山の世界をこの日本で実現しようとしました。
参照→こちら
彼らは大自然との調和がはかられる世界がこの世に実現する事を
心から願っていたのではないでしょうか。
裏が表になる時に・・・
次回のテーマは「なぜ龍が・・・」です。
お楽しみに・・・
(見果てぬ未来を見つめるボク・・・おおー、だいぶ首がノビノビしてるなぁ~・・・かなり遠くを見てるのねんねん)