みんな元気ですか
前回の続き・・・
エジプトのピラミッドの頂上にあった古代の叡智の結晶キャップ
ストーンはモーゼの手に渡りそこから数奇な運命をたどります。
旧約聖書にあるようにエホバの神の啓示を受けたか、
あるいは古代エジプト王宮の奥深くに眠っていた設計図・・・
大洪水の後にやって来た賢者が残した設計図によるものか。
いずれにしてもモーゼはその指示するところにより正確に
契約のひつぎを作ります。その幅、高さ、デザイン、装飾、色、それを
覆うカバー、担ぐ人の数までその設計図には詳細な指示がありました。
モーゼはそのひつぎのなかにこの不思議な石の結晶を治めます。
この聖櫃は旅路の果てにダビデによりイスラエルの神殿に辿り着きます。
しかしその後遥として行方が分からなくなります。
しかし我々はまたしても手掛かりをつかみます。
それは日本に伝わる、まるで契約のひつぎをコピーしたような
お神輿と祭り・・・そしてそれを運ぶ山鉾巡行。
それは全てスサノオ由来であることを示唆しているのです。
スサノオは前章で述べたように秦の始皇帝とつながりを持っていました。
一方時を経て始皇帝とつながりを持つ秦氏は京都の太秦に大避神社を
建立しました。秦氏の活躍は7世紀前半に顕著になります。
参照→謎の秦氏
ちょうど聖徳太子の頃です。そして我々は大避神社がダビデを祀る事を
知っています。日本にはいくつかの大避神社があります。
京都太秦の大避神社を土地の人は憚らずダビデ神社と呼んでいます。
(クリック拡大)
(兵庫県赤穂市の大避神社拝殿・絵馬堂 祭神・大避大神)
大避神は中国にもあります。さすがに中国では神社ではありませんが
道教の寺院にこれを習合したものがあります。
香港の一番大きな道教の寺院黄大仙廟(ウオンタイシンびょう)にも
この大避神は祀られています。ちなみに香港では広東語が主流ですが
その広東語で「大避」は「デイビ」と発音します。
英語の「デイビッド」に発音が近いのです。
そして「デイビッド」とはもちろんダビデの事なのです。
ちなみに以前総理大臣だった羽田孜(はたつとむ)氏は秦氏の
末裔だと言われています。彼の家には秦の始皇帝とダビデ神が
並べて祀ってあると聞いたことがあります。
これだけ状況証拠がそろっていれば秦の始皇帝はダビデその人と、
あるいは失われたイスラエルの10支族と何らかの関係があると
思えるのです。しかも強い関係が・・・。
始皇帝は何らかの力を得群雄割拠の中国大陸を見る間に平定します。
ダビデがイスラエルの王国を築いたように・・・
そして・・・
スサノオが大和の国を平定したように・・・。
エジプトのファラオのミイラが冥界に帰る姿は始皇帝のあの大規模な
地下帝国兵馬傭と重なります。
スサノオが契約のひつぎの正当な継承者であるかもしれない・・・
と言う事はこれだけの事柄でつながっているのです・・・
次回以降はスサノオの封印の謎についてお話しを進めます。
続きはまたね・・・
(深い瞑想にはいりエジプトの過去世を偲ぶボク・・・寝てるんじゃないんです・・・あは)