契約のひつぎ 24 聖徳太子を本当に見た人がいた その1.

みんな元気ですかドキドキ

前回の続き・・・グッド!

聖徳太子に関する続きです。

唐突ですが今日はあの地震予知で一躍有名になった

松原照子さん・・・通称照(しょう)さんのブログを転載させていただきます。

以下の2か月前の二つの記事(今年6月5日と6月6日)にちょうど

聖徳太子の事や関連して卑弥呼の事を書いていらっしゃいます。

照さんに話しかけて来る・・・見えない世界の・・・人達がどのような

人達なのかの描写もあります。

ここで注目したいのは照さんには聖徳太子の顔が見えていた事。

聖徳太子の血筋の事を述べておられ事。

それに6日の記事に彼女は聖徳太子の顔がローマ人に見えている事。

これらの点がとても印象が強く忘れられない記事になっています。

昨日の記事と関連しているので転載させてもらいました。

ただ二日分の記事が長いので2度に分けて転載させていただきます。

前半

QUOTE:

Date: 2011.06.05 | Category: 世見
|

私がお逢いする不思議な世界の皆様はどなたもお名前を言われない

ので、私がお名前を付けさせて頂いています。

いつも風呂敷包みを脇に抱えて来られる方は「風呂敷おじさん」、

ブルーグレーの目をした太めのおばちゃまは「ブルーグレーの

おばちゃま」、中国四千年の歴史と云う前振りがお好きなので

「中国四千年のおじちゃま」と呼ばせて頂いています。

未だ数名の方がおられますが皆様、個性がありお話の仕方も

違いますが、日本語でお話をしてくれています。

私が体験する事を今は何一つ証明出来ませんが、

いつの日にかどなたかとご一緒してお話が聞けたらどんなに楽しいか

と思うようになっています。

ただ、自分が書く内容を後で読んで見ると「誰が書いたのだろう」と

思う時があり、そんな時は心の中でワクワク感が広がり、

嬉しくなります。

だって、不思議な世界の方とお話が出来た証のような、

その方の存在を改まって感じられるからです。

今日は朝からニヤケ気味です。理由は分かりません。

「サァて、何を書かせて下さるのやら?」

いきなりこんな事を書いてしまった。

「あの聖徳太子は中国からやって来た絵を真似て、

後に描いた作品です」

「法隆寺と云うのは見事な謎に包まれていてなァ。皆が若草伽藍と

呼んでいる寺には釈迦如来像があった。釈迦如来や大日如来は仏様。

神道は共通の祖先から出たと考えられる人達の集まりである

氏神様を祀ってあり、それ故、氏によってお参りをする神様が違うのだが、

ここでだ、皆が興味のある話を伝えておこう。

あれ、この話し方って、中国四千年のおじちゃま。

聖徳太子が建ててはいないがあの法隆寺は寺ぞォ。

氏とは原始社会で同じ先祖から出た血族の集まりの事を氏族と云い、

あの時代は同じ祖先から分かれたと信じる者達が多くいた。

それ故に彼の血に問題があって天皇にはなれなかったと云うのが答よ。

だが、その事を知れる証拠などは今後も見付かるまいが、

若草伽藍にあった釈迦如来の光背をもう一度調べろと言いたいのオ。」

まァいいか。

「仏像の光背には生きておる者の思いが詰まっている。

彼の最期を悲しむ者の心があそこにはある。聖徳太子が

謎だらけの人物である事は知っているなァ。

彼は50才を待たずに、47才で死んだ。用明天皇の皇子で名は

(○この字が見えない。○戸豊聡耳 何と読むのだろう?

目の前に字が表れたが○が分からずにいた)うまやどとよさとみみ、

と言ってなァ」

「変な名前」と思った時、ピンポーンが鳴ったので玄関に行くと

「ケーブルテレビの工事で暫くテレビが見られなくなる」と言われたが、

そんな事より早く続きが書きたく、元に戻って鉛筆を持ったが、

次が書けなくなったと云うか、何も聞こえなくなってしまった。

凄く残念です。

「聖徳太子」「うまやどとよさとみみ」かァ~。

馬子って云う人もいたように思う。

UNQUOTE:

照さんのブログにはまだ続きはありません。

しかしこれでもかなりのヒントになるような気がします。

それにしても謎多き聖徳太子

あなたは一体誰なのでしょうか・・・。

あすは後半をアップします。

続きはまたね・・・グッド!

イッピーの独り言

(パパ~、ローマ人てこんな顔かなぁ~?・・・へ!?

ペタしてね

是非、近い内に続きが聞きたいと心の中で叫んでしまった。

「聖徳太子のお顔って、あんなに優しい顔立ちではなかったのです」あの頃の名前って、おもしろい。

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