前回の続き・・・
古代エジプトの時代モーゼと共に遥かなる旅に出た聖櫃の
行方を追って辿り着いたのが黎明期の日本でした。
契約のひつぎを追いかけたこの旅はもう終わりに近づいています。
聖櫃はモ―ゼからダビデの手に渡りそして秦の始皇帝に受け継がれ
ました。次に蓬莱山を目指した徐福の一行の中にいた始皇帝の正当な
継承者の手に渡りました。徐福はおそらく広島帝釈峡の葦嶽山に
キャップストーンを迎える準備をしました。しかしその石は決して
葦嶽山の頂上に据えられることはありませんでした。おそらく徐福は
聖櫃の日本への到着すら知らなかった可能性もあります。
それは始皇帝の死の直前に正当な継承者の手に渡り、時を経たある時
その継承者の子孫であるスサノオが手にする事になります。
なぜそれがわかるのか・・・理由は簡単です。
聖櫃は扱いが非常に難しいものです。正当な継承者以外にはその
扱い方は伝えられていないからです。おそらく継承者は相当な時間を
割いてそれを正しく認められた者に伝えたのだと思われます。
おそらくかなりの部分がヘブライ語での秘であり密の教えだったと
思われます。思いだしてください・・・もともと聖櫃は神からヘブライの民に
伝えられたものなのです。その扱い方と一緒に・・・。
そしてそれが今でも日本各地にヘブライ語が残っている
理由だと思われるのです。スサノオの側近たちはおそらく
ヘブライ語に通じていたのではないでしょうか。彼らの行く先々で
その痕跡を残したのだと思います。それがまた聖櫃のコピーの
ようなお神輿や山鉾巡行が伝統として伝えられた理由でもあります。
一方大陸から聖櫃を追いかけてきたグループもありました。
スサノオの時代には大陸との往来が盛んでした。スサノオ・ニギハヤヒ
共に大陸との貿易を奨励していました。おおくの日本に関する情報が
大陸にもたらされていたことは疑いがありません。
このために聖櫃の存在はその意味を知る者にとってはまるで足跡を
たどるように情報をつかむことができたのです。
彼らは我こそが聖櫃の正当な継承者だと標榜します。
それが秦氏の一団でした。秦氏は聖徳太子の時代に突然日本に
現れます。おそらく彼らは正当な継承者ではないのです。
なぜなら彼らはモーゼのユダヤ教ではなく景教・・つまり
新教の信奉者だったのです。
ここに聖徳太子の大きな秘密も隠されているのです・・・
続きはまたね・・・
(問題の核心を見つめるボク・・・ついに来たねパパ~)