前回の続き・・・
結論を少し急ぎます。
日本の古代の政治は「まつりごと」であることは以前に述べました。
宗教と政治は文字通り一体でした。
この事は現代の我々が考える感覚とはかなり違っています。
現代の感覚でいくと政治体制を神や仏に加護してもらう為に朝夕に祈りを
捧げる・・・といった程度の理解だと思います。
しかし当時は支配者階級はほとんどが霊能力を持っていました。
特にスサノオ・ニギハヤヒは優れた霊能者でした。
話しは変わりますが・・・
スサノオの時代より200年くらい前に先祖集団である徐福が渡来して
以来日本の地形は徐福たちによってくまなく調べられました。
徐福の足跡は日本の隅々にまで及んでいます。
おおざっぱな言い方ですが日本のいたるところに徐福伝来の地の
言い伝えがあります。それぞれの土地が、我こそが「徐福が最初に
日本に着いた」場所であると伝えています。
徐福は間違いなく日本中を移動しているのです。
なぜ徐福はそれほどまでに日本中をくまなく旅したのでしょうか。
何のためにそんなに時間と労力がかかることをしたのでしょうか。
それはもちろん地形を調べることから始まり、どこにどんな豪族や
ほかに政治的勢力がいるかという国家統一のための情報収集であった
事は疑いがありません。それと同時に地方の勢力を統一するためには
どの程度の武力が必要かという調査も兼ねたと思えます。情報収集の
見返りに稲作の指導などもしています。彼らは平和的な使者として
行動したのです。尊敬も集めました。人々は徐福を歓迎したのです。
しかしもうひとつ・・・それらにもまして重要な作業があったと思われます。
日本の地形の全体のエネルギーの構造を調べたのではないでしょうか。
ここに「まつり事」の意味があります。
徐福の行動は統一後の日本の国家繁栄の基盤を築くためでした。
彼らの血の中にある国家観とは国を数千年・・・もしかすると数万年の
単位で見る事でした。それはあのエジプトの王朝繁栄と同じ世界観でした。
はるか昔のダビデ、モーゼにつながる始祖から受け継いだ歴史観であり、
世界観であり国家観なのです。
日本の地形の中心をどこに見定めるか・・・。これによって日本と言う国の
中心が(エネルギー的に)定まりこの地形が続く限り決してぶれない
国家としての精神的よりどころが定まるのです。
一旦中心が定まればそこを軸にして世界に雄飛する事が出来ます。
彼らにとって堅固な国家とは如何にぶれない中心を持つかと言う事でした。
徐福、スサノオ、ニギハヤヒはこの中心となる場所を富士山に定めました。
彼らは富士山の形を見て数千万年に渡ってぶれていない事を見抜きます。
ちなみに富士山はユーラシアプレートとフィリピンプレートと北米大陸
プレートの3つの接点の中心に位置しています。このために非常に安定した
基盤をもち常に同じ地点から噴火を続けます。そのために世界でもまれな
あの富士山の美しいシンメトリックな形が出来たと地質学は説明してます。
彼らにとって富士山は見果てぬ夢の蓬莱山だったのです。
スサノオはこの富士山の霊的な守護を「このはなさくやひめ」に任せます。
スサノオ、ニギハヤヒ、コノハナサクヤとつづく「ひふみ神示」が
富士山とつながりが深いのもそこに所以があります。
さて・・・一旦中心を定めること出来れば次は鬼門を定める作業が続きます。
当時の鬼門は現代の鬼門とはこれもかなり意味が違っていました。
当時はまがまがし物が入らないように封じ込める門ではなく
良くも悪くもエネルギーの循環を促進するためのものでした。
彼らは良く知っていました・・・エネルギーには良いも悪いもないことを。
国家に常に新しい活力を導入するための門だったのです。
その活力とは大自然がもたらすエネルギーでした。
そのエネルギーは日本という国の龍骨を流れる大龍脈でした。
龍脈が流れる場所を「いやしろち」と言います。その土地は繁栄します。
余談ですがあの「帝国ホテル」をデザインしたフランクロイド・ライトは
この地脈の事をよく理解していました。彼が設計した北米のある町は
アメリカで平均所得が常に一番高いと言われています。
ちなみにこの「いやしろち」の「いや」は「いやさか」に通じヘブライ語で
栄えるの意味です。反対にエネルギーが停滞している土地を
「けがれち」と言います。
この一連の作業にこそ彼らが最大級の霊能力者たる所以があるのです。
後世、為政者の都合でこの鬼門の意味がすり替えられました。
それ以前の呼び名は「鬼門」ですらなかったかもしれません・・・。
それが現代にまで伝わって(曲がって)信じられているのです。
そしてその為政者こそが・・・
スサノオ封印に関わっている可能性があるのです。
続きはまたね・・・
(ボクのエネルギーのみなもとはおいしいもの・・・美味キモ―ン・・・おい、なまってるぞ)