みんな元気ですか
お釈迦さまが言いました・・・
人生の悩みは生老病死にあると。
その中でも最大の恐怖はだれでも「死」。
その「死」について小さな宇宙人アミはこう言っています。
- アミ 3度めの約束―愛はすべてをこえて (徳間文庫)/エンリケ バリオス
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QUOTE:
(P348~)
「宇宙は、自分たちの創造物が、新たな経験、新たな環境、
新たな場所、あらたな人、あらたな考えにふれることで、
進化し、成長していってほしいと考えている。ところががそれを
はばむのが、執着心なんだ。きみたちはあまりにもいろいろな
ものにしがみつきすぎている。自分たちの場所、自分たちの
愛するひと、自分たちの物、自分たちのすがた、自分たちの
考え、思い出・・・・・・全てを手ばなしたがらない。きみたちが、
そういったもろもろの執着から自由になって、別の状態へ、
別の幸福へととおりぬけるたったひとつの道は、いま、その身に
まとっている”服—つまり肉体のことだね—”を脱ぎ捨てる
ことだ。肉体がほろび、死をむかえたときにようやく、きみたちは
執着からのがれて、あらたな状態に入ることが出来るんだ。
でもそのかわりにきみたちは、かつての人生でのことを
なにひとつ—どんなに愛着のあるものでも—おぼえてはいない。
ほんとうは、ひとりひとりの心の奥には、記憶はひっそりとねむって
いるんだけど・・・・・・」
中略
「でももしきみたちが、もっと進化した段階のひとたちのようにもう少し
執着からはなれることができれば、”死”という、痛ましく苦しい
プロセスはいらなくなる。進んだ魂たちは、もはや“死”を通過
しなくとも、自分の意思だけでかんたんに、宇宙が用意してくれた
新しい状態の中へ飛び込んでいけるんだよ。しかも前の人生での
ことを忘れたりしないでね。ぼくの中にも、自分が半分ゴリラだった
ころからいまにいたるまで、記憶はぜんぶのこっているよ」
UNQUOTE:
アミのこの言葉をきいて主人公ぺドゥリュートはこう考えます。
・・・どうして神が“死”のような痛ましいものを創りだしたのか
わからなかった。でもアミの説明のおかげで“死”が神の愛が
創りだしたものだという考えは矛盾するものじゃなくなった。
だって愛がぼくたちの進化や完成を求め続けるのは当然の
ことだ。・・・
このテーマについてきょうの麗華さんのブログで
神様はこう言っています。
リンク→恐怖とは
転載します・・・
QUOTE:
死への恐怖は生きる以上必要である
怯えるためにあるのではない
人生を精一杯生きるために恐怖を使うのだ
今しかないことの儚さは死を意識する事で感じられる
なんだ、あの世はここなのね~と気付いたところで、
いくら真理をとったところで消える恐さはなくならんもんだ
私が覚醒するたびに死への恐怖は消える、
しかし確実に消し去る最後の覚醒は止められている
『確実には戻らなくていいです』と
恐怖も『多少は必要と』
人生をやりきることをしなくなるからだ
限りあることを知るから人は今を懸命に生きられる
UNQUOTE:
アミは「死」は恐怖する対象ではないと言っている。
服を脱ぐだけ・・・なんだから。
また死は執着から離れ新たなステージで経験を
積むために神が創ったと言っている。
ここでのテーマは人間の「執着」。
麗華さんの神は「執着はそれ自体が悪いものではない」と言う。
そして死の恐怖は有効だと言っている。人はそれにより存分に
生きようと思うから・・・。
これは一見違う事を言っているように見える。
でもボクも少し学習した・・・。
これはどちらの神も同じ神様かもしれない。
だって・・・両方とも限りない愛に満ちているから。
(転生して・・・生まれた来たばかりの頃のボク)