みんな元気ですか
やさしさについて・・・
「愛」という言葉は日本人にとっては意外にとても曖昧な言葉です。
なぜ曖昧なのでしょうか。
そこには歴史的背景があるのかもしれません。
明治の近代化の波に沿って外国語を日本語に翻訳する作業が
行われました。この作業には明治政府の後押しがあったんです。
その頃に作られた言葉には政府、社会、存在、個人、自由、権利、等が
あります。江戸時代には無かった言葉でした。他にも
芸術、音楽、運動、彼、彼女、青年、品行、品格、人格・・・等。
「愛」という言葉はそれ以前にもありました。
しかし「愛」という言葉は日本では昔から今と同じ意味で
使われていたわけではありませんでした。
江戸時代までは今とは全く違った意味を持っていました。
どちらかというと性的な「愛欲」の意味が強かったようです。
恋愛と同義の意味でも使われていました。
以下のような文豪の言葉があります。
夏目漱石・・・
「しかし、しかし君、恋は罪悪ですよ、解っていますか」
太宰治・・・
「恋愛とは何か、私は言う。それは非常に恥ずかしいものである」
芥川龍之介・・・
「恋愛は性欲の詩的表現をうけたものである」
この頃の日本の文豪たちにはやっぱり恋愛は恥ずかしいもの
という気持ちがあったようです。
ちなみに夏目漱石が学校の教師をしていた頃、学生が「I love you」を
「我、君ヲ愛ス」と訳したのを聞いて「月が綺麗ですねと言いなさい。
それで伝わります」と言ったとか。やっぱり、私はあなたを愛しています、
という言葉は日本に存在していなかったということなんですね。
二葉亭四迷はツルゲーネフの『初恋』に出てくる「I love you」を
「わたし、死んでもいいわ」と訳したそうです。
それは前後の脈絡をもってそう訳したんですね。
(以上のうんちくは中山市朗氏のブログからお借りしました。
全文参照→こちら
)
愛欲と同義の「愛」という言葉を使う事を出来る限り避けていた様子が
伺えます。だからといって今でいうところの「愛」と同じ意味を持つ
言葉がなかったわけでもありません。日本語でそれに近いのは
「思いやり」や「いつくしみ」や「慈悲」の心でしょうか。
あるいは少し古い響きになるかもしれませんが・・・
「惻隠(そくいん)の情」・・・でしょうか。惻隠とは自分と他人を区別しない
思いやりの心といった意味です。
しかしどれを取ってても今一つビシッと決まらない感じが
するんです。
曖昧でもやっぱり「愛」は「愛」なんですよね・・・
続きは後篇に・・・
(だれだ・・・授業中に寝てるのは・・・)