サングリア 3 テンプル騎士団

みんな元気ですかドキドキ

きのうのう続き・・・グッド!

1292年の春の事です。

エルサレム王国東部に最後まで残っていた十字軍の拠点

アッコンがエジプトのマムルーク軍の手に落ちます。

6週間持ちこたえた籠城についに終わりが来ます。

イッピーの独り言

(上はエルサレム全景 中央に丸く見えるのが「岩のドーム」)

イッピーの独り言

(岩のドーム 内部は今でも謎に包まれている・・・)

当時のテンプル騎士団のすべてを率いていた

総長ギヨーム・ド・ボージューが剣を捨てて城壁から退いた

時でした。団員達の非難に彼はこう答えました。

”ジュ・ヌ・メンフュイ・パ・・・ジュ・スィ・モールビックリマーク

「逃げるのではない、死ぬのだ」・・・と。

彼は血まみれの腕をあげてわき腹に深々と突き刺さった

矢を見せるとその場に倒れ二度と起き上がることは

ありませんでした・・・。ボージューの戦死はその後の

テンプル騎士団の行く末を暗示していたのかもしれません。

彼らを撃破したのはエジプトのマムルーク軍でした。

当時イスラムの本拠地はエジプトにあり強大な軍事力を

誇っていました。

次の総長ティボー・ゴーダンも翌年地中海のキプロス島で

幽閉され獄死します。

ボージューはテンプル騎士団第21代総長。

ゴーダンは次の第22代総長です。

そのゴーダンに後を託された第23代総長ジャック・ド・モレー

の時1307年にテンプル騎士団は壮絶な最期を迎えます。

当時のフランス国王フィリップ4世の裏切りにあうのです。

フランス国内にいた騎士団のメンバー5000人が一夜のうちに

一斉に捕えられます。

それまでテンプル騎士団は、彼らの考えと行動に賛同する

多くの資産家により土地や莫大な財産の寄進を受け、

豊富な財力を持っていました。その財力を持って、当時

イギリスの戦争賠償債務にあえぐフィリップ4世を支援しても

来ました。しかしフィリップ4世はテンプル騎士団の

財力をすべて奪い取る計画を立てました。

テンプル騎士団ともう一つの当時大きな騎士団であった

聖ヨハネ騎士団とを合併させて自らが両方の支配者

となる事を目論んだのです。

これにより一挙に債務問題を解決しようとしました。

そこでテンプル騎士団の指導者たちを捕えパリのセーヌ川の

シテ島で磔にして処刑しすべての財産を没収しました。

フィリップ4世の狙いは当初からテンプル騎士団の莫大な財産の

奪取にあったと言われています。

ここでテンプル騎士団の表だった活動は途絶えます。

そして歴史の表舞台から姿を完全に消し去ります。

しかし・・・

テンプル騎士団は生き延びます・・・

彼らはその頃西欧から中東まで所領9000か所を持っていたと

言われているのです。そして自分達の財産を守り運営するために

一大金融ネットワークを築いていました。

そのすべてを奪い取ることは不可能だった

と思うのが自然なのです。

続きはまたね・・・グッド!

イッピーの独り言

(テンプル騎士団に志願するボク・・・入れてくだしゃい(きっぱり)・・・目

ペタしてね

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です