みんな元気ですか
いつも誰かに見られてるというおはなし・・・
最先端の素粒子物理学の世界では純粋な第3者的観察者は
存在しないと言われています。
これは対象物に何らかの影響もなく観察することが出来ない
と言う意味です。観察者がいると必ず観察対象物に影響を
与えるからなんです。
これを簡単に説明すると、
超高性能の電子顕微鏡で微粒子の衝突を物理学者が
観察しているとします。その物理学者がぶつかった微粒子が
右に飛ぶ・・・と思ったらそれが右に飛ぶ。・・・左だと思ったら
左に飛ぶという現象があります。このことは統計学的に
証明されているそうです。
つまり・・・
観察者の想念が観察に影響を与え、結果にどうしても参加して
しまうんです。
だから・・・
純粋な第3者的な観察者の立場と言うのはないんです。
クリシュナ・ムルティーと言うドイツに住む
インド人の哲学者がこう言っています。
「見つめるものが見つめられるもの」
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夜おそく満員電車で吊革につかまって何気なく窓を見ていたら
そこに写っている美女と目があった。
お互いに通じるものがあって・・・そこで二人はニヤっと笑う
・・・って話じゃなくて・・・(あは!)
彼が言っているのは、例えば
すべての物に意識があるとすれば
自分が空の雲を見つめていたら実はその雲が自分を見ている
可能性があるということ。森の中で木を見ていたらその木が
意志を持って自分を見ているかもしれない。
この世はすべて一つにつながっている・・・としたら
おきることはすべて必然。しかも意味があって起きている。
一方でこうも言います・・・。
すべての事象は自分が引き寄せて見ている舞台ドラマのようなもの。
でも自分だけが主役じゃない。
周りのみんなもそれぞれの主役を演じているのかもしれない。
だから相手は必然があってこちらを見ていた。
もし風に意識があるとして・・・自分が頬を通り過ぎる風を感じたら、
その風もあなたの頬の感触を感じ、確かめていたのかもしれない。
僕は思うんだ・・・
これは対象物がすべてお互いに干渉しあっていると言うことを
分かりやすく言っているんです。
それに・・・
このことはシンクロニシティーが起きる理由を別の言い方で
説明しているのかもしれないなって・・・
例えば誰かの事を思ったらその人から電話がかかってくる。
これはこちらの(主観者の)一方的なシンクロ。
でも相手にとっても何かのシンクロ・・・の可能性がある・・・。
あるいはその人にとっては未来に起きることへの伏線。
原因と結果のつながり・・・あるいは因果のつながり・・・
がそこには見えるんです。
だから見つめるものは見つめられるもの・・・なんだよ・・・きっと
でも昔の人は難しい理屈は言わなくてもこのことを知っていた。
それを以心伝心と言います・・・
(ホントはね・・・ボクが今キミを見てるんだよ・・・)