陰陽師の謎 26 聖徳太子と謎の回文歌

みんな元気ですかドキドキ

前回の続き・・・グッド!

ウィキペディアに聖徳太子について以下の記述があります。

QUOTE:

別名として豊聡耳(とよとみみ、とよさとみみ)、上宮王

(かみつみやおう)とも呼ばれ、顕真が記した『聖徳太子伝私記』の

中で引用されている慶雲3年(706年)頃に作られた

「法起寺塔露盤銘」には上宮太子聖徳皇、『古事記』

(和銅5年、712年)では上宮之厩戸豊聡耳命、『日本書紀』

(養老4年、720年)では厩戸皇子のほかに豊耳聡聖徳

豊聡耳法大王法主王東宮聖徳と記されている。豊とは豊受、

卑弥呼の血統秦、外来を表し、聡は名前で、耳とは皇子を意味する。

遵って彼の名前は尊称を省くと「聡」が本名である。

UNQUOTE:

聖徳太子の別名の・・・本来であれば聖徳太子が彼の別名なのですが、

「豊聡耳」とは、言い伝えでは10人の人の話を同時に聞きわけたからその

名前が付いたと子供の頃に小学校で教えられた記憶があります。

このシリーズでは太子が外国人であり、数ヶ国語を話すことが

出来たのでこの名前の由来になったという可能性を述べました。

さらに・・・

このウィキペディアの引用部分の最後から2行目をよく注意してみると

やはり聖徳太子は「外来」つまり外国人であることを強く示唆しています。

太子は外国の事情に通じていました。

外来の封印の術を日本独自の陰陽道に昇華させたと思われます。

次にご紹介する和歌は聖徳太子の作と言われ、縁起のよい

「初夢の宝船」として伝わる歌です。

(長き夜の 遠のねむりの 皆目醒めざめ 波乗り船の 音の良きかな)

読み方です・・・

(ながきよの とおのねむりの みなめざめ なみのりふねの

おとのよきかな)

この歌は最初から読んでも逆から読んでも同じ音になる

「回文歌」です。「たけやぶやけた」と同じ構成です・・・。

表向きの解釈は:

進みゆく船は心地良く波音を立てるので、過ぎ去る刻の

数えを忘れてしまい、ふっと「朝はいつ訪れるの

だろう」と想うほど夜の長さを感じた。

もうひとつの解釈もあります。

長い世の中の遠い戦いの記憶から皆よ目を覚ましなさい。

波に乗っている船にぶつかる音の状況はよいのだろうか。

以上はウィキぺディアによる解釈です。

しかしよく読むと裏の意味がこめられている気がします。

「長い戦いの原因はもうなくなった。 目覚めがなんと心地よいことよ」

と言う意味に取れるのです。だとすると・・・

これは封印が完成したことを歌った歌とも取れます。

なぜならスサノオの別名は大海神の神(おおわだつみのかみ)

なのです。封印されたスサノオたちには後にそれと分からないように

他にも沢山の名前が付けられました。

龍神スサノオをよく表す神名として「たかおかみの神」が

あります。高龗神あるいは高淤加美神とかきます。

最初の神名の真ん中の文字「龗」は雨に龍と書きます。

いかにも農耕をもたらした神にふさわしい名前にも響きます。

ちなみに「たかおかみ」と一対でよく出てくる

闇龗神(くらおかみ)・・・または闇淤加美神(くらおかみのかみ)とも

表します・・・はその息子二ギハヤヒの事です。

高龗神神社と闇龗神神社にはそれぞれ必ずと言っていいほど

スサノオと二ギハヤヒがご祭神として存在します。

話をもとに戻します・・・

なぜ回文歌が封印を表すのでしょうか・・・

それは一度歌い始めると終わりと初めが繋がっているので

出口がありません。無間地獄の意味が込められているんです。

この回文歌は船出する時には荒ぶる海の神・龍神スサノオはもう

いないから安心だと言っているようです。そしてそれ(無間地獄)を

表すことによって荒ぶる海の神を閉じ込めようとしています。

だとすると・・・これは封印をした方の勢力が歌った歌なんです。

つまり聖徳太子は・・・戦いに敗れた物部氏の領地財産を曽我氏に

分け与えたことからもわかりますが明らかに封印をした方の勢力

なんです。

それにこの回文歌に必要な特殊な技術・才能は作者がただもの

ではない事を物語っています。

回文歌を作るための技術にどのような手段が必要なのか定かでは

ありませんが、なぜか高等数学が必要とされる・・・

あるいは高等数学と通じるものがあるような気がするのです。

見た目は違いますが、

あの「魔方陣」と同じ臭いがします・・・。

続きはまたね・・・グッド!

イッピーの独り言

(もうそろそろ・・・このシリーズが終わりに近い予感がするよ・・・パパ~パー

ペタしてね

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