みんな元気ですか
昨日のつづき・・・
スサノオに付けられたイカズチノカミという神名は大自然と
共に歩む農耕の神という意味が込められていました。
決してあらぶる神の意味ではありませんでした。
大自然を敬い大自然とともに歩むことで日本の黎明期は
切り開かれました。さらに二ギハヤヒにより大陸から
もたらされたさまざまな先進技術も人々の生活をより安定に
導きました。二ギハヤヒは大神神社に日本最初の都を開き
宮殿を造りました。さらに宮殿の地を中心として当時では驚きの
整備された道路を作ります。今の「山野辺の道」です。
大和時代の後世の天皇もこの道路に沿って屋敷を構え
神社や聖跡碑を造りました。次に水路の整備です。
大和川と初瀬川の水路を遡る物資の流通経路を完成します。
物資が流通するようになれば市が立ち商業が繁栄します。
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人が目的を持って集まって来ます。
今までとは全く違った都市の誕生です。
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そのすべてが大神神社を起点としているのです。
当時は大阪湾は今よりはるかに奥まで入り込んでいました。
この大和川は遠く海を越えて海外からの交易船の終着点と
なったのです。さまざまな異国の船が行き来していたと
思えます。すべての船が波静かな瀬戸の内海を通ってこの
大和川までたどり着いたのです。後の時代に平清盛が宮島の
厳島神社に海上に浮かぶ大鳥居を構え当時の中国の南宋から
来る貿易船にその威容を見せつけたのも二ギハヤヒの海上交易の
基盤作りが無ければ成り立たなかったのです。その意味で
二ギハヤヒがいなければ厳島神社はなかったのです。
一方愛媛県の大三島に瀬戸内海をにらむ位置に大山祇神社が
創建されたのも偶然ではありませんでした。父スサノオ、つまり
大海の神(おおわだつみのかみ)がいつも海上から日本の大局を
見守っていたのでした。
すべては大和川につながっていました。
このことが大いに阿部清明と関係があるのです・・・
続きはまたね・・・
(またまた陰陽師・・・)