人がつなぐ神の血筋 25 二ギハヤヒと「花鎮めの祭り」

みんな元気ですかドキドキ

古代日本の謎をすこし・・・グッド!

スサノオは日本全国にまたがりその足跡を残しています。

仲間と一緒に日本の山や平野を緑豊かな国土に変えて行きました。

一方その息子二ギハヤヒは大和の地大神神社に宮殿を構え、

交易をすすめ農耕を奨励しました。同時に薬草の普及にも

努めました。食料の確保の次には民の病気を減らし、治療する

手だてを持つ事でより健全な国家の運営を図りました。

疫病などかなりの病をこれで抑える事が出来たのだと想像します。

大神神社では今でも毎年4月18日を「花鎮めの祭り」の日とし

薬草に感謝をささげる日としています。そのご二ギハヤヒゆかりの

全国の神社にこの祭りの日は広がっています。

江戸時代に書かれた薬草の教科書「本草類従集」には

その原典は大神神社より伝わると書かれているそうです。

スサノオも二ギハヤヒも日本全国に植樹し森を緑に変え、さらに

農耕を奨励して廻りました。それまでは食料の確保は民の

一大関心事でした。一度飢饉に見舞われると長い間尾を引きます。

なぜなら種もみすらなくなってしまうからです。次の年のために植える

種がないのです。しかし二ギハヤヒが奨励したのは植物の育成に

欠かせない水をまず確保する事でした。

治水灌漑の事業を同時に実践し、見せて、教え、奨励したのです。

これにより稲作を中心とした食料の増産が飛躍的に伸びて収穫量が

安定したのです。昨日もご紹介しましたようにその記録は

ほぼ日本全国に残っています。

さて・・・

ここで謎です。

スサノオも二ギハヤヒもごく短期間で日本全国を廻っています。

しかも一か所で治水灌漑から始め、さらに穀物の育成までとなると

一か所にかなり長期間の滞在が必要です。季節を巡るほどの仕事です。

しかも多くの場所でこれを手がけているのです。

現代の新幹線での出張のような離れ業をやっているのです。

当時は日本全国をつなぐ道などもちろんありませんでした。

国から国への移動すら、戦いの時のような場合を除いては

常態ではありえないのです。つまり治水灌漑の事業のための

工人を引き連れて移動するためには、恐らく山の中を幾日も

かけて切り開きながら、同時に道を造りながら歩くしかないのです。

しかも方向を間違えずに・・・。つまり現実的には不可能なんです。

それに・・・

彼らが道を切り開きながら次の目的地を目指して、想像を絶する

困難を乗り越えて・・・つまり猛獣などとも闘いながら・・・旅を続けた

という記録は一切ないのです。

まるで空を飛んで移動したとしか考えられないのです。

果たして・・・この空を飛んだ・・・という可能性はあるのでしょうか。

実はあるのです。

しかもそのことが植物や農耕の飛躍的増産に関係する

可能性があるのです・・・。

続きはまたね・・・グッド!

イッピーの独り言

(今からこうやって飛ぶんだよ・・・ばびゅ~んって・・・UFO

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