みんな元気ですか
世界の古代文明に話を一旦戻します・・・
「神々の指紋」を書いたグレアム・ハンコックによれば1万2千年
前にはアラビア湾は海ではなく川でした。
今のチグリス・ユーフラテス川とつながっていました。
ペルシャ湾とも言いますがサウディ・アラビアとイランに挟まれた
広大な海域で地政学的には非常に重要な海域です。
その地域の豊富な地下資源のために国際紛争が堪えません。
この海は以前はありませんでした。
大洪水で広大な土地と文明が海に沈んだのです。
ハンコックによればアラビア湾や紅海は潜ればすぐにでも古代遺跡が
発見されるそうです。海底古代遺跡の宝庫です。エジプトとも近く
ピラミッドやスフィンクスの謎の解明のヒントになる手掛かりが
見つかるかも知れません。
ちなみに地質学の最近の研究報告では1万2千年前の氷河期の
終わりに世界各地を襲った大洪水では今のヨーロッパ全土と中国を
合わせた以上の広さの土地と文明が徐々に海に沈んだとされています。
土地の形成によっては一瞬で・・・例えば一晩で・・・沈んだ場所も
あるようです。
(参照→YouTube Graham Hancock Presenting
)
このペルシャ湾のイラン側(古代ペルシャ)に沿ってエラムと言う王国が
紀元前3200年頃から紀元前539年まで存在していました。
これだけでも相当長い間栄えた王国です・・・。
これは少なくとも考古学上で分かっている年代です。
下の写真がエラムの支配地域だったとされています。
しかし実際は大洪水以前より存在していた文明だと想像するのです。
(ウィキペディアより)
(エラム王国)
これは当時の古代の国々の地図です。
独自の言語と絵文字を持ち隣国ともあまり交流がなかったようです。
そのために実態がよく知られていませんでした。
そのエラム人は自らをハルタミまたはハタミと呼んでいました。
(参照ウィキペディア→エラム
)
日本語と似ています。
「ハル」あるいは「ハ」の民なんです・・・。
そしてこのエラム古王国の首都がスーサと言います。
古代ペルシャの憲法である有名なハンムラビ法典もこのスーサから
発掘されており、いまではパリのルーブル美術館に保管されています。
スーサは数千年のあいだこのエラムの首都だったのです。
(参照ウィキペディア→スーサ
)
この章長いので続きはまたね・・・
(ウィキペディアより)
(スーサで発見されたスフィンクス/ルーブル美術館蔵)
“人がつなぐ神の血筋 30 古代ペルシャ湾” への 1 件のフィードバック