みんな元気ですか
場面は日本に移ります・・・
少し話はそれますが・・・
このブログでは一貫して日本の黎明期に颯爽と現れて
日本を統一したのはスサノオ・二ギハヤヒ親子だと主張しています。
スサノオは下地を作り二ギハヤヒが統一を成し遂げました。
スサノオは今の島根県の斐伊川のあたりを出発点にしています。
当時の鉄の精錬を一手に手中に治めていた豪族の
おろち族と戦い新たな鉄の精錬方法を確立します。
それまでの精錬は砂鉄を含む山に強引に水を流し鉄を仕分ける
かんな流しという粗っぽい精錬方法が主流でした。
このためにその地方の山はみなハゲ山になり土地は痩せ
海は山からの土砂の流入で漁師は苦しんでいました。
もちろん山は水をためることが出来ずに雨が降ると川が
一気に氾濫するという状況になります。
その山にスサノオ一族は植林をしました。
木の苗や種を何度も大陸から運んできたという記録が
あります。山は昔の山の姿を取り戻しました。
スサノオ一行は日本中でこの植林を行ったという
足あとを残しています。東北地方にまでスサノオが
ハゲ山に植林を行い緑の山を取り戻して行ったという伝承が
残っています。藤原氏が創作したストーリーである古事記・
日本書紀が伝える荒くれ者のスサノオのイメージとはまるで
正反対の人物像がここに浮かび上がります。
ちなみに鳥取砂丘の砂はこのかんな流しのために出来た
人工の砂が積み上げられた跡とも言われています。
膨大な量の砂です・・・。あの地震予知で有名な照さんも
不思議な世界のひとに教えられたとしてそのことを
伝えています。鳥取砂丘の砂の砂鉄の含有量を調べると
そのことが分かるかもしれません・・・。
スサノオは日本の広い範囲で絶大な人気を誇っています。
大きな人望があったのです。山や土地を植林によって改良し海を豊かな
漁場に変えました。治水・灌漑・水路を整備しました。
民に安定的に食料の確保・増産を奨め、独り占めすることなく、
惜しみなく教えたのです。
どれほど人々の崇敬を集めたか想像に難くありません。
このためにほぼ日本全域にスサノオを祀る神社が出来ました。
後に藤原氏による政治的理由でスサノオ・二ギハヤヒの封印による
改名を強制された八幡神社も含めるとその数ゆうに一万を超えます。
ちなみに「八」はスサノオととてもゆかりの深い数です・・・。
かれは全国統一にあたりまず瀬戸内海の海路を制覇します。
今の愛媛県大三島にある大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)がある
場所を自分の拠点にし東を息子の二ギハヤヒに任せます。
ちなみに大山祇神社は二ギハヤヒの孫の乎千命(おちのみこと)によって
創建されました。今でも乎千命の手植えのおおくすが正面にご神木として
残っています。樹齢2000年の大木です。四国に越知さんや越智さんの
名字が多い理由です。そのみなさんスサノオの血脈です。
スサノオの息子二ギハヤヒは当時大歳(おおとし)を名乗っていました。
大歳は今の琴平宮に拠点を構え宮殿を作りました。。
西の大三島と東の琴平宮の両拠点から瀬戸内海の航路に
にらみを利かせたのです。琴平宮の「宮」は神社ではなく宮殿の
意味です。若き大歳は西から統一を果たしていきます。
西から兵庫県までは大歳神社は多く見られますが大阪にはいると
一挙に姿を消します。大歳は二ギハヤヒと名前を変えたからです。
二ギハヤヒと改名し現在の大神神社(おおみわじんじゃ)を日本最初の
都と定め大和の地に一大都市を築きました。日本の初代天皇・・・
皇祖(みおや)となったのです。
さて・・・
その大王二ギハヤヒと天王スサノオがどこから来たのかという疑問と
そしてこのシリーズのタイトル「異星人と超古代文明」と
どう繋がるのでしょうか・・・
実は彼らはそのことに関する足あとをいくつか残しているのです。
続きはまたね・・・
(大山祇神社の乎千命の手植えのおおくす)