みんな元気ですか
さらに古代日本の黎明・・・
スサノオも二ギハヤヒも日本全国を文字通り飛び回って
います。しかもごく短期間のうちに・・・。
彼らは瞬く間に日本全土の統一を図っています。
普通に考えると道もなく交通手段もない時代の事だとは
思えないスピード感です。それはスサノオ・二ギハヤヒに限らず
彼らと祖先を同じくすると思える徐福の一行も同じです。
徐福が日本に渡来したと思えるのは時代的には紀元前
2世紀中頃と想定します。根拠は秦の始皇帝と徐福との
繋がりです。
さて・・・
徐福は3000人の高貴な家柄の子供たちを連れさらにお付きの
人達や諸々の技能集団である多くの「工人」を従え日本に渡来
したと記録にあります。これだけの人数です。
おそらく数回に分けて渡来したと思われます。
その記録が中国側にはいくつも残っています。
参照→秦の始皇帝の野望
残念ながら統一前の日本にはこの記録はありません。
伝えられているように徐福は不老不死の妙薬を探しに日本に
来たのではありません。彼らは明らかに自分たちの国を日本に
作ろうとしていた・・・と考えるのが自然なのです。
彼らは日本全国を移動しました。その目的は日本の勢力図の
調査です。統一を図るためにどこにどのような勢力がいるのか、
どの程度の武器が必要か、自軍のための食料の調達をどうするか、
等を調べて回ったのです。先住の民がいる土地に新たに国を
興すには当然の、そして必ず必要とされる行動のはずです。
果たして日本にはほぼ全国に渡って我こそが徐福が上陸した
土地であると言う伝承が残されています。
彼らはなによりも歓迎されていたのです・・・。
スサノオ・二ギハヤヒの日本の統一がごく短期間で、しかも
戦いらしい戦いもなしに成し遂げれた背景には周到な準備が
あったと思えるのです。しかも先住の民が持つ技術よりも
はるかに進んだ技術を持っていることが条件です。
スサノオ・二ギハヤヒはこれらの圧倒的に有利な条件をそろえて
いたのです。
さらには・・・
彼らは・・・つまり徐福もスサノオ・二ギハヤヒも先住の民を従える
ために同じ戦略を取っています。
それは戦いによって相手を平伏させるのではなく、大いなる尊敬を
集め民との和を図ると言う方法です。
これがスサノオ・二ギハヤヒが徐福との色濃いつながりを示唆する
根拠の一つです。スサノオ・二ギハヤヒも農業を奨励し、治水・
灌漑を整備し水路を開き、交易を盛んにしています。
話はそれますが「3年寝太郎」の伝説は徐福の事を色濃く思い
起こさせます。
参照→3年寝太郎は徐福の子孫だった
http://tenmax.sakura.ne.jp/cid21772/?p=3969
二ギハヤヒは都を定めた大神神社近くまで大和川の水路をひろげ
ある程度の大きさの外国の船がはいれるようにまでしています・・・。
話はそれますが実はこのことが後の時代に阿部清明をうみ
さらには聖徳太子や秦河勝につながって行くことにもなります・・・
参照→陰陽師の謎
もう一つスサノオ・二ギハヤヒと徐福の集団が同じ民族であった
可能性を示す根拠があります。
スサノオ・二ギハヤヒが日本を統一したのは2世紀の中ごろと思えます。
つまり徐福の時代から300年近くを経ています。
その頃には徐福の集団は日本の内情をよく知り、勢力をある程度
固めていたと思われます。その先行集団との軋轢の記録は一
切ありません。つまりスサノオ・二ギハヤヒは徐福の集団の勢力に
はぐくまれ、あるいはその勢力を後ろ盾にして日本の統一を図った
と思う方が自然なのです。
異星人の関与まで話が行きませんでした・・・
続きはまたね・・・
(ボクのおとうとぶんのニャーモスだよ・・・関係ないけど・・・あは)