大地との会話 5 徐福の謎

みんな元気ですかドキドキ

秦の始皇帝と徐福・・グッド!

スサノオ・二ギハヤヒ以前に実は日本にやって来た技能集団が

いました。そのリーダーを「徐福」と言います。

スサノオの時代をさかのぼること300年ほど前の事です。

古代中国のいくつかの史書には徐福は秦の始皇帝の援助を受け

東の蓬莱山を目指したとあります。

徐福のお話しは中国の正式な古代歴史書司馬遷の書いた「史記」に

出て来ますが最近まではその実在は疑われていました。

しかしそのほかの古代中国の歴史書にもくり返し出て来ます。

例えばAD82年に編纂された「漢書」

ほかにも「郊祀志」、「地理志」、「列伝十五の伍被」・・・

5世紀前半に編纂された「後漢書」

あの有名な3世紀に編纂された「三国志」。

ほかにも数え切れないほどの古代中国の歴史書にその名前とその行動が

史実として書かれています。

これだけ傍証がそろっている徐福・・・。

秦の始皇帝の命令千人に及ぶ位の高い家から集めた男女の

幼い子供たち。その付き人が数千人。それに当時のあらゆる分野の

最高水準の2500名の技術者達。これを「百工」と言いました。

そのほかに当時の最高水準の航海術を持つ航海士と造船技術者達。

これらの人々を連れて外国の蓬莱山を目指して旅に出た

本当の理由はなんだったんでしょうか。

徐福は始皇帝の単なる家来だったのでしょうか。

イッピーの独り言

(日本各地にある徐福の墓・・・)

日本には我こそが徐福が最初に日本に降り立った土地であると

主張する町が少なくとも60数か所あると言われています。

日本の歴史には徐福は存在しません。

歴史の教科書でも教えません。

しかし・・・

徐福は確かに日本に来ていたのです。

この技能集団は日本各地を巡っています。

行く先々でもともと住んでいた先住民に快く受け入れられています。

彼らも治水灌漑を施し農業を教えています。

この徐福のグループがスサノオの先祖なのでしょうか。

続きはまたね・・・グッド!

(だれか見えない人がいま家にはいってきた・・・汗

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