みんな元気ですか
兵馬傭の謎からその先へ・・・
話が少し本題からそれますが・・・
ウィキペディア(兵馬傭
)によりますと兵馬傭は始皇帝の陵墓を
取り囲むように作られていているとあります。
いまだに全容は明らかになっていません。
規模が巨大すぎるんです。
(全員が同じ方向を向いている兵馬傭の兵士達)
始皇帝の8000騎とも言われる兵士たちだけではなく宮殿の
レプリカや文官や芸人達の傭も発掘されていると言います。
「史記」や「漢書」を始め中国の多くの歴史書にその存在が記して
ありましたが、場所も特定されず長い間実在を疑われていました。
農夫が畑を耕していて偶然これを発見したと言われています。
発見されたのが1974年と言いますから比較的最近の事でした。
現在はユネスコの世界遺産に登録されています。
ウィキペディアによりますとこの兵馬傭の最大の特徴として
次の3点が挙げられています。兵士の傭にはどれひとつとして
同じ顔をしているものがない。秦の軍隊が様々な民族の混成部隊
であった。それに秦の敵国が存在した東を向いているとあります。
さらにもう一つ、始皇帝稜の陪葬墓(一緒のお墓)の人骨のDNAを
調べた結果ペルシャ系のDNAとおなじ特徴を持つ男性の人骨で
あった事が分かっているそうです。つまり大きな謎が以上のように
4つもあります。
この謎ときに挑戦してみたいと思います。
最初のどれひとつとして同じ顔をしているものがない・・・点ですが、
兵士だけでも8000体近くあります。この8000体が全部顔が違っている
ということは実は現代の感覚で行くと想像を絶する世界です。
何人の技術者が何年かかってこれを作ったかを考えると手作業では
不可能です。来ている服から装備している兵器やそのほかの備品も
非常に精巧に作られているそうです。一体を作るのにどんなに早くても
おそらくゆうに1カ月はかかると思われます。単純計算ですが兵士だけを
取っても約657年必要です。これをこれを同じレベルの技術を持つ職人が
50人で休みなく働いたとしても13年を要します。1体の製作に要する時間
がもし3カ月かかるとすればこの3倍の年月が必要になります。
つまりこの計算自体に意味がないような気がします。他にも多数の馬や
文官や芸人や宮殿を作っているんです。つまりそれだけの高度な
技術をもつ職人を集める事は不可能ですし、要する時間が膨大
すぎます。始皇帝にはそれほど残された時間がありませんでした。
自分が不治の病にかかっていた事を知っていました。
だからこそ蓬莱山に不老長寿の薬を探すと言う話が作られました。
つまり兵馬傭を作るのに時間的ゆとりは恐らく1年もなかったのでは
ないでしょうか。長くて2年くらいだと思うのです。
そんな短時間でこれだけのものを作る事が出来るのでしょうか。
一つだけ可能性があります・・・。
それは3Dプリンターを使う事です。
この方法は実はそれほど突飛な事ではないかもしれないんです。
数百年時代をさかのぼることになりますが実は古代ギリシャ文明では
この方法で多くの芸術的な人体彫刻を作っていたと言う説があります。
ギリシャ彫刻にはある特徴があります。多くの彫刻が非常に似た
部分があることが指摘されています。髪型や筋肉や男性のあの部分
等が皆同じです。まるでコピーされているように同じ形をしています。
しかも地球人のそれとは微妙に違います。
始皇帝はそのような技術にアクセスがあったのでしょうか。
その答えはこの4つの謎の他の謎にそのヒントがあるのです。
続きはまたね・・・
(あれ・・・おいらのコピーがいま・・・?)