大地との会話 10 秦の始皇帝は中国人ではなかった

みんな元気ですかドキドキ

始皇帝は外国人・・・グッド!

中国と言う国は多くの戦乱を経験しています。その度に国を支配する

民族が入れ代わりました。同じ民族が長く定着した事はないのです。

つまり一つの文化が長期にわたって継承されてはいません。

中国には4000年の歴史などどこを探してもありません。

始皇帝の秦の国も同様です。長くは続きませんでした。

秦の国はもともとが外国からの侵入者でした。

4つの謎の二つ目ですが、秦の軍隊は様々な民族の混成部隊

であったと言う事が兵馬傭から分かっています。つまり外国人が

多くいた部隊です。このことも普通に通り過ぎてしまうような表現

ですが実は大きな意味を持ちます。始皇帝の父親は碧眼だった

と言われています。碧眼とは青い目の事です。

4番目の謎である一緒に埋められていた埋葬者の人骨のDNAが

ペルシャ人のものだった事ともつながります。

始皇帝は多民族を束ねて中国にやって来たために混成部隊

がもともとの基盤になっている理由がここにあります。

さて・・・

京都の太秦(うずまさ)は秦河勝が様々な痕跡を残した土地です。

秦氏の祖先は秦国の始皇帝だと思われます。秦河勝は多くの

秦国の謎をとくカギを残しています。

彼の居処である「太秦」ですが中国語で「ローマ」という意味です。

河勝は太秦に大避神社を創建しています。大酒神社とも表記しますが

「おおさけ」と言い両方ともおなじ読み方をします。日本語の漢字表記

は時代とともに変化します。文字が変わると当初の意味が隠されて

しまいます。この「大避」を解読するにはもともとの中国語の意味が

重要になります。「大避」を中国語読みすると「デ―ビ」となります。

これは英語ではデービッドつまりダビデの事です。大避神社は

あのモーゼにつながる末裔のソロモン・ダビデのダビデを祀って

いるのです。太秦のご近所さんもこの大避神社をダビデ神社と

呼んでいます。秦の始皇帝はダビデの子孫です。父親が碧眼だった

という事の理由がこれで分かります。余談ですが元総理大臣の

羽田孜(はたつとむ)さんの家では秦の始皇帝とダビデの二神を

祀ってあるそうです。「羽田」さんはもちろん「秦」氏の末裔です。

さらに余談ですが・・・

秦国は漢に敗れました。秦の民族はそののち「客家」(はっか)

として中国全土に散りました。その時以来円楼と呼ばれる

砦のような住居に大家族が、外界との交流を閉ざし固まって

暮らして来ました。言葉も普通の中国語とは微妙に違います。

大きいもので100家族くらいが暮らせる円楼があるそうです。

アメリカの偵察衛星がこの円楼の塊を発見し中国のミサイル基地だと

勘違いして数年前に大騒ぎになった事がありました。

(円楼外観)

(円楼の内部)

この客家とは文字通り外国からの客人です。

つまりもともとの中国人ではないことがここにも表れています。

客家民族は世界中に散らばりました。海外で活躍する

華僑と呼ばれる中国人はほとんどが客家出身です。

中国人が作った国「シンガポール」は客家人の国です。

先代大統領のリ―・クワンユーも客家人です。

ユダヤ人の多くが海外で財をなしています。客家も華僑として

海外で活躍しています。古代ユダヤという同じ祖先を持つ二つの

民族に似たような共通点があることも歴史の因縁でしょうか。

続きはまたね・・・グッド!

(ボクのともだち・・・)

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