みんな元気ですか
スサノオとは・・・
スサノオは歴史の黎明期の日本に颯爽と姿を表します。
出雲の出身と言われています。龍神のように日本各地を駆け廻り
はげ山に植樹を行い、稲作を指導し、先住の民に食料の確保を行い
味方に付けただけではなく限りない尊崇を集めました。
時代が下り藤原氏の徹底的な封印により歴史の表舞台からその
名前が消えてしまいました。藤原氏の意向で当時の天皇の名前で
出された勅令によりスサノオとニギハヤヒの名前も使う事を許されなく
なりました。日本全国の古史社伝も書きかえられました。
藤原氏による古事記・日本書紀につじつまを合わせるためです。
このため彼らは多くの別名を持っています。
スサノオと二ギハヤヒを祀る神社はその主祭神の名前を変えて
.
日本全国にゆうに10万社を超えています。
藤原氏が創建した出雲大社を勧請した神社が日本全国を
見ても一桁の数社しかないことを考えるとその違いは明らかです。
.
圧倒的な人気を誇っていたことは間違いありません。
これだけの数を誇る人気は想像を絶する世界です。
おそらくそれらの神社がある地方の一つ一つを訪れていたと想像します。
魏志倭人伝
にもありますが当時の日本に道はありませんでした。
それだけの距離を、道がない日本をどうやって移動したのかも謎です・・・。
徹底した封印のため二ギハヤヒとともにスサノオの出自については
記録がほとんど残されていません。
しかし・・・
全く手掛かりがないわけではありません。
スサノオには数ある別名の一つ牛頭天王という名前があります。
ちなみに「天王」とはスサノオの代名詞です。
天王がつく地名はスサノオゆかりの土地です。
東京の天王洲アイルのように。
(牛の頭をしたスサノオ・・・)
手掛かりの一つウィキペディア(牛頭天王
)によりますと牛頭天王は
朝鮮渡来だった事が示唆されています。蘇民将来とのつながりも
逸話に残っているようです。つまりスサノオは朝鮮かどうかは別にして
外国から来た渡来人の可能性があります。
それを色濃く裏付けるものが京都八坂神社の祇園祭です。
(参照ウィキペディア→祇園祭
)
この祇園祭はそのルーツがユダヤの祭りにあることを
祇園祭山鉾連合会会長が認めているそうです。
(祇園祭山鉾)
山鉾を飾るタペストリーは今でもイランなどに発注される物もあり
ペルシャ絨毯が使われているようです。
絵柄には砂漠を行くラクダの絵等もあります。
日本のものではありません。
正確には古代ユダヤではなくその起源は古代ペルシャだと思われます。
さて・・・
祇園祭のそもそもの発祥の起源は西暦869年に京都の疫病の
流行の根絶を牛頭天王に祈願した事によると
上のウィキペディアにあります。
つまりスサノオの霊力を頼りにしたと言うよりは、封印されたスサノオの
怨霊を鎮めるために始まった祭りのような印象です。
そのために祇園祭はスサノオゆかりの絵柄が選ばれているのでは
ないかと思うのです。
つまり・・・
スサノオの出自は古代ペルシャと深く関係している構図が
浮かびあがって来るのです。
祇園祭はレムリア・大和文明ともつながる
大きな手掛かりのような気がします。
続きはまたね・・・
(もう少しだね・・・ぱぱぁ・・・)