みんな元気ですか
一見陰陽師に関係ないような楊貴妃の事・・・
歴史は点で見れば切り取った断面図にすぎないがその
点と点が繋がれば流れになりにわかに生きた
物語になる・・・by イッピー(あは)
エジプトのクレオパトラや日本の小野小町と並んで世界3大美女の一人
として有名な楊貴妃ですが唐の時代玄宗皇帝(西暦700年代前半)の
寵愛を受けていました。日本では藤原氏全盛の時代。
そして聖徳太子のすぐ後の頃のおはなしです。
あまりにも楊貴妃を寵愛し、彼女の魅力に
おぼれたために玄宗の治世の後半は国が乱れたと伝えられています。
この事から楊貴妃の事を「傾城の美女」(けいせいのびじょ=国を
傾けるの意味)と言います。
少しだけ唐の時代の歴史ですが・・・
この国の乱れに乗じて部下の間に勢力争いがおきます。
「安録山の乱」といいます。(あるいは「安史の乱ともいいます。)
楊貴妃のいとこの楊国忠と安録山との勢力争いでした。
この争いで楊国忠が殺されます。
同時に玄宗により楊貴妃も殺されてしまったと伝えられていました・・・。
ここまで参照(ウィキペディア)→玄宗(唐)-楊貴妃
ここから謎ときに挑戦してみます・・・
この歴史として伝えられている事件は少し妙な点があります。
それほど寵愛していた楊貴妃をなぜ玄宗が殺したことになって
いるのでしょうか。
何か裏がありそうです・・・。
(傾国の美女楊貴妃/ウィキペディア)
さらにウィキペディアから引用します。
奈良時代に吉備真備という有名な学者がいました。
学生時代の歴史の教科書にも出ていました。
ダジャレのような名前が印象に残っていますが
その吉備氏について書かれた記事です。
QUOTE:
吉備真備(きび の まきび、持統天皇9年(695年) –
宝亀6年10月2日(775年11月3日))は、日本の奈良時代の学者、
政治家(公卿)。正二位・勲二等・右大臣。下道真備
(しもつみち の まきび)、吉備下道真備(きびのしもつみちのまきび)
などとも呼ばれた。備中国下道郡(後の岡山県 吉備郡 真備町 、
現在の倉敷市 真備町)出身。父は右衛士 少尉 下道圀勝
(しもつみちのくにかつ)。
母は楊貴氏(大和国(後の奈良県 )の氏族 と
覚しき八木氏 の女性
とされるが疑わしい 。下道氏 は吉備地方で有力な地方豪族
吉備氏 の一族。異説として加茂氏 系図に、吉備彦之孫・(鴨の)
吉備麻呂 ・右大臣という記載があり 、この人物が吉備真備であるという
説がある。また賀茂保憲 や賀茂光栄 は吉備真備の末裔とする文献もある。
UNQUOTE:
余談ですが・・・
もも太郎の物語に出てくる岡山県のきび団子の「きび」は
吉備団子とも書きます。吉備真備と直接関係はないようですが
この団子の方のきびは「黍」(きび)という穀物より来ています。
サトウキビのきびですがひえとかアワに近い穀物です。
このきびをもちのようにして作ったのがきび団子だそうです。
話を戻します・・・
この「八木氏の女性とされるがうたがわしい」という部分の
疑わしい根拠は調べてもはっきりとは出てこないのです。
「楊貴氏墓誌」という古文書によると八木氏の先祖は楊貴氏とあります。
楊貴氏は「やぎし」と読みます。つまり八木氏の祖先は楊貴氏だと
言っているのです。
しかしこれだけでは話が繋がりません・・・
そこでこの人の登場です。
地震予知で有名になった照さんの2011年9月1日の記事です。
QUOTE:
楊貴妃(2) <2011.9.1
安禄山が反乱を起こし、彼は四川に逃れようと
したが自殺したとか。この時、玄宗と楊貴妃も一緒だったとか。
サァて、此処までは歴史にお詳しい方はご存知かもしれませんが。
エェ~、楊貴妃が好きだった相手が楊国忠だった事は知らなかった
ですって。私はこの楊国忠なる人さえ知りませんでした。
楊貴妃は首を括り、縊死したと伝えられているそうですが、
どうもそこが違うようです。
彼女は日本にやって来たと云うのです。
揚子江から船で我国日本に到来したと云うのです。この話は後々、
熱田の神と云う伝説まで作っているくらいですから
あながち真実かも知れません。
オッと、何でこんな事を書いたのか分かりませんが、
日本に楊貴妃が来ていたとしたら面白いお話です。
此処で又、新事実登場。
八木と云う名前のルーツは「楊貴=やぎ」だったと云うのです。
吉備真備の母の氏が、この楊貴氏だったとか。
こうして教えられると不思議な事だらけですが、まさか八木姓が
「楊貴=やぎ」から来ているなんて、実に楽しくなって来ます。
日本中の八木さ~ん、
もしかするとあなたの血の中に楊貴妃の血が流れている
かもしれませんよ!
もしかしてあなたの娘さんはベッピンさんではありませんか!
秋は近し、今宵は楊貴妃の膝枕でお休みになる夢でも、
殿方は見て見られては如何でしょうか。
以上です。
UNQUOTE:
照さんの霊視・・・中国4千年のおじちゃまのお話によりますと
楊貴妃は安録山と対立して勢力争いをした自分のいとこの
楊国忠と恋仲だったのです。
そこで歴史に残っているはなしと照さんのお話とを
総合すると次の構図が浮かび上がってきます。
歴史では玄宗皇帝が楊貴妃を殺したことになっていますが
実際はあまりに寵愛していたので殺すことは出来なかった。
しかし国が内乱状態にまで乱れた上に統制上示しがつかないので
恋がたきの楊国忠に内乱の責任を取らせてこれを処罰します。
もちろん主犯格の安録山も処罰します。
その後に殺したことにした楊貴妃を秘かに日本に逃がしたのです。
玄宗皇帝は逃がした楊貴妃をその後もあきらめきれないでいた
という状況証拠が他にもあるのです。
その謎のカギを握るのが吉備真備なのです。
そしてこの重なった偶然のようにみえるえにしの綾が
日本の陰陽師に多大な影響を与えているのです・・
続きはまたね・・・
(イッピー・・・急にふけた・・・?)