陰陽師の謎 番外編 陰陽道の祖吉備真備

みんな元気ですかドキドキ

もう一度吉備真備のこと・・・グッド!

阿倍仲麻呂と吉備真備は同時代の人物です。

同時代と言うだけでなく二人はかなり親交があったと伝わっています。

吉備真備が唐にいた時に唐人の陰謀により苦難にあっていたところを

阿倍仲麻呂によって何度となく助けられたと伝わっているほどです。

その阿倍仲麻呂は阿倍晴明の祖先と言われていますが

じつは吉備真備も陰陽道にはかなり通じているのです。

と言うよりも日本の陰陽道の祖とも言われているほどなのです。

再びウィキペディア 吉備真備
を要約します。

真備が唐人に捕えられていた時に日月を封じたためにこれに唐人が

驚いて釈放したとあります。この日月を封じると言うのは天文道と

陰陽道を合わせたような術を彷彿とさせます。

さらに真備は他人の夢を盗む術をも使えたようです。

吉備真備の才能は尋常ではなく玄宗皇帝はその才を惜しみ、

予定の留学期間を過ぎても帰国させなかったと伝えられています。

さらに吉備真備は陰陽道の聖典『金烏玉兎集』を唐から持ち帰り

常陸国筑波山麓で阿倍仲麻呂の子孫に伝えようとしたといいます。

金烏は日(太陽)、玉兎は月のことで「陰陽」を表します。

阿倍晴明は阿倍仲麻呂の一族の子孫とされますが

『金烏玉兎集』は晴明が用いた陰陽道の秘伝書と言われています。

『今昔物語り』では陰陽書『刃辛内伝』を持ち来たらしたとして

真備を日本の陰陽道の祖としている・・・とあります。

吉備真備は陰陽道に関し非常に重要な

役割を持っていたのです。

次回は番外編最終回です・・・グッド!

イッピーの独り言

(岡山県倉敷市の吉備真備の像)

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