心の旅路を行く 1

いきなりですが・・・グッド!

外国の人も日本人も「皆同じ人間だから」という言い方があります。

話せばわかる・・・とか、お互いに理解出来るはず・・・

と言ったような言葉がそのあとに続くわけです。

もちろん生死の問題や根源的な所では一緒かもしれません。

しかし感情表現や生活習慣はかなり違います。

「国家の品格」という本を書いた世界的数学者の

藤原正彦先生がこんな事を言っています。

前略

夫が妻を低く言う習慣は、善悪はともかく日本で広く見られるものです。

ただ外国人相手では要注意です。

アメリカ人に私が女房を「愚妻です」(This is my stupid wife.)

と紹介したらその場の皆が凍りついてしまいました。

彼らは奥さんを「マイビューティフルワイフ」などと、あっけにとられることを

平気で言うのです。

後略

その場面を想像するとかなり気まずい波が広がったんだろうと想像します。

ほかにも外国の人と接しているとよく経験する事ですが、

家に招いた時最初に「何か飲みますか」と尋ねると

日本人ならまず、「いいえ結構です」とか遠慮します。

あるいは日本のお家ならまず置いてあるだろうものを想像して

出来るだけ迷惑がかからないように「それではお茶をいただけますか」・・・

とかおそるおそる申し出る位がせいぜいだと思います。

ところが外国の人の場合だとまず「何がありますか」

(What do you have?)と聞かれるのが普通でしょう。

健康志向ブームで最近はお茶は人気ですが、ほかにも

コーラにアイスコーヒー、場合によって多少の下心があれば

お酒の類をすすめたりするかもしれませんね・・・

男性女性のどちらがホストであれ・・・あは!

とにかくあるものをまるでレストランのメニューのように紹介します。

ちなみに「何でもあるわよ!」と言うのは英語では

(You name it!)と言ったところでしょうか。

お客であっても自分の好みをはっきりと伝えた方が相手も気分がよいだろうという考えです。

ただこの使いわけにも限度があるので慣れないとなかなか難しいところ

だと悩んだりするわけですが・・・。

外国の人に礼儀正しいつもりで遠慮すると「この人は私を受け入れてくれない」

となりますし、後の会話もぎこちなくなることになりかねません。

外国では遠慮することと礼儀正しいことは同じではありません。

日本人にはなかなか分かりにくいところです。

話しは変わりますが・・・

以前こんな事を書きました・・・。

単純な比較だと信仰者には叱られるかもしれないが

キリストは天性の聖人であり超能力者だったという評価がある。

つまり生まれながらにして神のみ使いだった。

それに比較して釈迦はあらゆる修行をしてそれを身に付けたと

言われることがある。

もちろん釈迦の達した悟りの境地や残した言葉の

味わい深さを思うとはたしてこれが修行のみで達することができる

境地だろうかと思わないでもない・・・。

生まれてすぐに東西南北に7歩あるき

「天上天下唯我独尊」と言った事とかを信じれば

必ずしも後天的に身に付けた能力とは言えないのかもしれないが・・・

その時のお話しは→こちら

この違いを持つキリストと釈迦が西洋と東洋にそれぞれがいたのは

とても偶然とは思えません。

後編に続きます・・・グッド!

イッピーの独り言

(僕はワンでよかったなぁ・・・だってそんなことに悩まなくていいんだもん・・・てか僕コーラがいいよ音譜

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