みんな元気ですか
このシリーズ最終回・・・
今日は日本の財宝のお話しだよ。
埋蔵金と言えば「徳川家埋蔵金」と相場は決まっています。
幕末のころ薩長連合軍との戦いに備えて赤城山
(群馬県のほぼ中央)のふもとに埋めたとの言い伝えがあります。
しかしこれにはある疑問が・・・。
当時の幕府は財政がかなりひっ迫していました。
江戸城の無血開城をせざるを得ないくらい
戦う為の財力はもう無かったと見るべきだろうと思います。
詳しくは立ち入りませんが徳川の埋蔵金伝説には
関係者の別の目的があったような気がします。
ここからが本題です・・・
その他に確かに存在すると思われる財宝のお話しがあります。
それは戦国時代の武田家の財宝です。
武田信玄は当時最強の軍事力を誇っていました。
それは大きな財力に裏打ちされていました。
その財力とは・・・豊かな金山です。
金鉱を掘るにはそれ相応の技術力も必要でした。
武田家はその技術力の蓄積も持っていました。
当初は弱小だった軍を増強し、甲斐の国にいた他の豪族を
征服し、さらに信濃に覇権を伸ばしました。
戦国最強と言われた武田の軍事力を支えたのは黄金だったのです。
武田軍が黄金を天下取りのために備蓄した
という伝説は各地に残っています。
例えば富士山のふもと本栖湖近辺では武田信玄の腹心の部下だった
穴山梅雪(あなやまばいせつ)という家来が
多量の金銀を埋めたという言い伝えがあります。
(慶長大判・・・世界でも最大級の金貨)
ほかにも信玄は川中島の戦いの必勝を祈願して
戦の神様として有名な諏訪大社に黄金を埋めたと言われています。
いまだに発見されていないそのありかは以下の謎の言葉に
示されていると言われています。
「朝日さし夕日輝くえの木のもとに黄金千両うるし千両」。
その「えの木」が分かれば黄金が見つかるかもしれません。
もうひとつ有力な埋蔵金の隠し場所と思える場所があります。
それは同じく信玄の直轄地の下諏訪地方です。
下諏訪に当時毒沢と呼ばれる場所がありました。
土地の名前から想像が付きますがここは金の採掘場です。
事の性質上金の採掘場は極秘中の極秘でした。
だから信玄の命令によって人が近づかないようにしたのです。
「猛毒のガスが出るから・・・」という噂を広めて。
その毒沢にある洞窟が昭和20年代後半に発見されました。
当時の地元の新聞にも出ているそうです。
その洞窟内部の壁に文字や記号が書いてあり
黄金の隠し場所だと思われていました。
しかし「沢」の名前からも分かるようにその洞窟は水が出やすく
入り口が崩落してしまい人が入れなくなったようです。
信玄がこの「猛毒・・・」という噂を広めるようにと関係者に
命じたと言う証拠もあるそうです・・・。
いかにも黄金の隠し場所としては最適だと思われます。
さて・・・ここまで読んで来て前回までのお話との
違いに気付かれた方もいるかもしれません。
・・・それは今回のお話だけチャネリング情報ではなく
ある程度史実に基づいたお話しです。
でもなんとなく簡単には見つかりそうにない・・・。
そんな気がしませんか。
そんな財宝をどうやって探すのか・・・
大切なのはここからです。
今まであまり人が試したことがない方法が一つだけあります。
思いだして下さい・・・。
今回のシリーズは最初からチャネリング情報だと言う事を。
そうです・・・
チャネラ―さんと知り合いになり
地図を見るかあるいは直接下諏訪地方に行き
一緒に財宝のありかを探してみてはいかがでしょうか・・・
大人の夏休みの自由研究には最適だと思います・・・(あは!)
(ホントはね・・・最強の財宝は・・・ココロの中にあるんだよ)