龍の復権 21 葦嶽山 その十二 大山祇神社と龍神スサノオ

みんな元気ですかドキドキ

きのうの続き・・・グッド!

大山祇神社とスサノオとのつながりが隠されているメッセージを

読み解きたいと思います。

ウィキぺディアにはこの神社の由緒にこう書いてあります。

「山の神、海の神、戦いの神として歴代の朝廷や武将から尊崇を集めた神社である。源氏、平家をはじめ多くの武将が武具を奉納し、武運長久を祈ったため、国宝、重要文化財の指定をうけた日本の甲冑の約4割がこの神社に集まっている。近代においても日本の初代総理大臣の伊藤博文、旧帝国海軍連合艦隊司令長官・山本五十六をはじめ、現在でも海上自衛隊、海上保安庁の幹部などが参拝している。」

これは実に不思議な事なんです。

記紀にも昔の歴史の書籍にもオオヤマズミという神様が山や海の

たくさんの戦いでめざましい活躍を見せたと言う事はまったく出て来ません。

それにも関わらず戦いの神様として源氏・平家の頃からはっきりと

多くの武将から限りない尊崇を受けているのです。

しかも日本に残る約4割の国宝級のヨロイ・兜が奉納されているのです。

これは創造を絶するほど戦いに実績があった神様だけが集める

事が出来る尊崇の念です。しかも祈れば力を与えられたのです。

それほど実績のある人が確かにここに祀られています。

しかも歴史上消えてしまっているのです。

この条件を満たす古代の歴史的人物は一人しかいません。

日本を統一し日本の国を造ったスサノオその人なんです。

この事を念頭に置くと色々な謎が解けて行きます。

次に注目したいのはこのクスノキの写真の乎千命(おちのみこと)

という名前です。この神様は実はスサノオの直系の親族なのです。

おそらくスサノオの息子ニギハヤヒの孫にあたると思われます。

ちなみに現代の「越智さん」あるいは「越知さん」という家系の先祖です。

神社の伝承にも乎千命がこの土地にこの神社を築いたとあります。

自分が尊敬してやまないひいおじいさんのために創建したと思えます。

もし写真の説明のように本当に乎千命が植えたのであれば

このクスノキの樹齢はおそらく言い伝えのように2600年ではなく

1900年程と言う事になります・・・。

他にも注目したいのは、同じくウィキぺディアによる以下の記述です。

「毎年春の御田植祭(旧暦5月5日)と秋の抜穂祭(旧暦9月9日)において、

大山祇神社の御淺敷殿と神饌田の間に設けられた土俵で行われる

相撲神事である。「稲の精霊」と「一力山」による三本勝負で行われ、

稲の精霊が2勝1敗で勝つ。「すもう」は一般に「相撲」の字を当てるが、

ここでは、相撲を含めた広義の力くらべである「角力」の文字を用いて

一般の相撲とは違うこと、神との力くらべを表すとされる。」

相撲を角力と書くのは神との力比べ・・・云々と言うのはなんだか

わけのわからない説明のような気がします。

これはスサノオが牛頭天王と呼ばれていたことを思い起こせば

意味がもっとはっきりするのではないでしょか。

これは牛の角の力の事だと・・・。

もうひとつスサノオは稲作を日本で初めて奨励しました。

稲の語源は「稲妻」・・・つまり雷なんです。

雷がなって雨が降ると稲が実ることから来ています。

そう思うと季節感も色鮮やかによみがえります。

稲が風に揺れる青い波がしらと風が雨と共に運んで来る香りさえ感じます。

スサノオは別名を雷神(いかずちのかみ)とも高籠神(たかおかみ)とも

呼ばれていました。

この二つの神様とも大山祇神社の摂社に祀られています。

高籠神の一文字「籠」の字は以前ご紹介した裏伊勢籠神社の

文字にあてられています。

参照→こちら

ここでもスサノオ・ニギハヤヒとつながるのです。

大山祇神社の主祭神はスサノオのことなんです。

それに・・・この高籠神及び雷神という別名こそが

スサノオが龍神である事を表しているのです。

続きはまたね・・・グッド!

イッピーの独り言

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