みんな元気ですか
前回の続き・・・
始皇帝の晩年は危険に満ちていました。秦の国は内憂外患でした。
強大な兵馬傭の建設で国は疲弊していました。
加えて病気です。その時に自分がなすべき事はただ一つ、
日本にいる自分の血筋の正当な継承者にキャップストーンを渡すこと
でした。徐福の使者は定期的に始皇帝に日本の様子を伝えるために
秦の国に渡っていました。その最後の使者が日本に帰る時に
始皇帝は契約のひつぎの隠し場所をしたためた秘密の場所の
地図を託します。時を経てそれは正当な継承者スサノオの手に渡ります。
あるいは死期を悟った始皇帝は直接使者に聖櫃を日本に届ける様に
命令したのかもしれません。
どちらにしてもそれを受け取ったのはスサノオ以外にありません。
その何よりの証拠がスサノオにまつわる神社のお神輿と
聖櫃をイスラエルの神殿に運び入れた時の様子をまるでコピーを
したようなあの不思議な絵柄を持った、京都八坂神社をはじめとして
各地の祇園祭に残る山鉾巡行です。
参照→スサノオと聖櫃
スサノオはこの聖櫃の意味と力とを正確に理解します。
そしてこの力を背景に国造りに動き始めたのだと想像します。
契約のひつぎは予想以上の戦果をもたらします。
いったんそれを手にしたら無敵なのです・・・。
ちなみにこの時には当然徐福はすでにいません。
あれから300年の月日が流れて徐福の想いは一緒に来た多くの
子供たちの子孫や百工達は知っていました。しかしそのことが正確に
語りつがれる事はなかったのだと思います。
徐福の直系の子孫の幾人かを除いては・・・。
一方秦の国がみだれ王族の子弟たちは自分たちの最後が来る事を
悟ります。そのうちの幾人かはおそらく大和に向けて旅立ちます。
そして徐福の一行と合流したのかもしれません。
最初から日本にやってきた徐福の一行と、始皇帝の正統派継承者と
途中から参加したグループとおそらくいくつかにわかれて政治的な
駆け引きもあったのではないかと想像します。
なぜなら後の時代に同じ故郷をもつ人々、同族の祖先につながる人々が
相争う事になるかも知れないのです・・・。
続きはまたね・・・
(争いを避けて隠れ場所をさがすボク・・・ここがいいかも)