サングリア 4 ロビンフッド

みんな元気ですかドキドキ

きのうのう続き・・・グッド!

テンプル騎士団は当初からフランスを中心とした基盤を持って

いました。フランス国王フィリップ4世の計略の犠牲になった

のも主にフランス内のテンプル騎士団のグループでした。

しかし騎士団の支配が及ぶ土地はフランスだけではありません。

特にフィリップ4世の手が届かないのがイギリスでした。

イギリスはフィリップ4世に対して莫大な戦勝債権を持って

いたのです。テンプル騎士団がイギリスに多大な影響を

与えたのはあの英国国旗のユニオンジャックにも表れています。

イッピーの独り言

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赤い十字の印はまさにテンプル騎士団旗です。

ほかにも義族で有名な英国のシャーウッドの森のロビンフッド

もテンプル騎士団だったという言い伝えもあります。

彼らは騎士団と呼ばれていますがほとんどの団員は騎士・・・

いわゆるKnight(ナイト)の騎士ではありませんでした。

ちなみにこの騎士の称号自体がもともと英国の制度です。

さてテンプル騎士団の「テンプル」名前の由来ですがこれは

エルサレムのソロモン王の神殿の丘にあった本部寺院に由来します。

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イッピーの独り言

(エルサレムにある初期のテンプル騎士団本部寺院)

この本部の寺院も13世紀末のイスラム軍によるアッコンの陥落

以来テンプル騎士団の手に戻って来ることはありませんでした。

さて・・・

彼らが自らの命を賭してまでエルサレムを守ろうとしていた

本当の動機とは一体なんだったのでしょうか。

歴史には必ずと言っていいほど伝えられている事がらとは

異なる「裏」があります。

そのことを少し掘り下げてみたいと思います・・・・

続きはまたね・・・グッド!

イッピーの独り言

(やっぱりテンプル騎士団より・・・テンプラが好き・・・へみし・・・汗

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