みんな元気ですか
封印のつづき・・・
魔法陣の定義が「一度それに嵌まったら無間地獄に落ちてしまい
二度と出られないという封印」だとすると・・・
その定義に当てはまるもので有名なものにいくつか心当たりがあります。
以前こんな記事を書きました・・・
このシリーズの最初の方に書きましたが、以前紹介したあの地震予知の
「照」さんのブログでは、不思議な世界の人に教えてもらった
聖徳太子の風貌がローマ人に見えた事を引用しました。
聖徳太子はあれほどの歴史上の実績があるとされる人物に
しては正式な名前もないほどの扱いを受けていた理由・・・。
そして「照」さんが言うように天皇になれなかった理由も
分かるような気がするのです。ちなみに聖徳太子と言う名前は
彼の没後約100年経ってから付けられた名前です。
それまでは「厩戸」(うまやど)と言うのが彼の名前です。
(ウィキぺディアによります。)
一方秦河勝が技能・芸能に優れていたことはよく知られています。
ちなみに東儀家の御曹司であるイケ面の雅楽演奏家の東儀秀樹氏
は秦河勝の子孫だそうです。いまも続く皇室との関わりを感じます。
さて、次にご紹介する和歌は聖徳太子の作と言われ、縁起のよい
「初夢の宝船」として伝わる歌です。
(長き夜の 遠の
読み方です・・・
(ながきよの とおのねむりの みなめざめ なみのりふねの
おとのよきかな)
この歌は最初から読んでも逆から読んでも同じ音になる
「回文歌」です。
表向きの解釈は:
進みゆく船は心地良く波音を立てるので、過ぎ去る刻の
数えを忘れてしまい、ふっと「朝はいつ訪れるの
だろう」と想うほど夜の長さを感じた。
もうひとつの解釈もあります。
長い世の中の遠い戦いの記憶から皆よ目を覚ましなさい。
波に乗っている船にぶつかる音の状況はよいのだろうか。
以上はウィキぺディアによる解釈です。
しかしよく読むと裏の意味がこめられている気がします。
「長い戦いの原因はもうなくなった。 目覚めがなんと心地よいことよ」
と言う意味に取れるのです。だとすると・・・
これは封印が完成したことを歌った歌とも取れます。
なぜならスサノオの別名は大海神の神(おおわだつみのかみ)
なのです。封印されたスサノオたちには後にそれと分からないように
他にも沢山の名前が付けられました。
龍神スサノオをよく表す神名として「たかおかみの神」が
あります。高龗神あるいは高淤加美神とかきます。
この二つの最初の神名のこの真ん中の文字「龗」は
雨に龍と書きます。いかにも農耕をもたらした神にふさわしい名前
にも響きます。ちなみに「たかおかみ」と一対でよく出てくる
闇龗神(くらおかみ)・・・または闇淤加美神(くらおかみのかみ)とも
表します・・・はその息子二ギハヤヒの事です。
高龗神神社と闇龗神神社にはそれぞれ必ずと言っていいほど
スサノオと二ギハヤヒがご祭神として存在します。
話をもとに戻します・・・
なぜ回文歌が封印を表すのでしょうか・・・
それは一度歌い始めると終わりと初めが繋がっているので
出口がありません。無間地獄の意味が込められているんです。
この回文歌は船出する時には荒ぶる海の神・龍神スサノオはもう
いないから安心だと言っているようです。そしてそれ(無間地獄)を 表すことによって荒ぶる海の神を閉じ込めようとしています。 だとすると・・・これは封印をした方の勢力が歌った歌なんです。 つまり聖徳太子は・・・戦いに敗れた物部氏の領地財産を曽我氏に 分け与えたことからもわかりますが明らかに封印をした方の勢力 なんです。 それにこの回文歌に必要な特殊な技術・才能は作者がただもの
回文歌を作るための技術にどのような手段が必要なのか定かでは
ありませんが、なぜか高等数学が必要とされる・・・
あるいは高等数学と通じるものがあるような気がするのです。
見た目は違いますが・・・あの魔法陣と同じ臭いがします。
秦河勝は一方その多岐にわたる新たな技術や大陸との関係を
いかした貿易により巨富を築きあげます。その財力を持って
封印を完全なものにするためにさらには伊勢神宮を建立します。
7世紀の終わり頃の事です。このときに初めて藤原氏が奉じた
「アマテラス」がやっと安住の地に落ち着く事が出来たのです。
このことからもわかりますが聖徳太子と秦河勝はスサノオと
二ギハヤヒの封印に大きな役割を果していたのです。
つまり藤原氏が背後に控えた黒幕だとすれば、聖徳太子と
秦河勝は封印の実行部隊だったのかもしれません・・・。
古事記・日本書紀は藤原氏の描いた封印後の大いなる戯曲
だったのです。
続きはまたね・・・
(おいらたちみたいにみんな仲良しすればいいのにね・・・そだねイッピー兄ちゃん)