人がつなぐ神の血筋 23 スサノオと二ギハヤヒ

みんな元気ですかドキドキ

古代の日本に少しだけ飛びます・・・グッド!

以前古代日本の長いシリーズを書きました。

「龍の復権」
では封印された古代日本の神々の事を。

「契約のひつぎ」
では古代エジプトからつながる日本の不思議を。

これらのシリーズの主役は日本の黎明を切り開いたスサノオと

その息子である、ヤマトの初代大王二ギハヤヒでした。

二ギハヤヒは現在の大神(おおみわ)神社に日本で初めての

都を定め、宮殿を造りました。都大路はいまの

「山野辺の道」と呼ばれる曲がりくねった道路です。

灌漑治水を整備し、水路を切り開きました。

当時の日本にはなかった非常に高い技術でした。

中国から徐福が連れてきた優れた技術を持った工人たちの

活躍がありました。

(参照→「秦の始皇帝の野望」

水路には特に力を入れました。交易のためです。

商業が栄えることは国の基本です。今の大阪湾は大和のすぐそばまで

海でした。大和川は世界との交易のために二ギハヤヒが切り開き

整備した交易のための重要な水路だったのです。

瀬戸内海は重要な世界に向かって開かれた水路だったのです。

平清盛が厳島神社の赤い大鳥居を海に向かってその威容を

誇示したのもそこを多くの外国船が往来したからです。

二ギハヤヒが造った水路があるから瀬戸内海は栄えたのです。

それに瀬戸内海はスサノオ二ギハヤヒ親子に取っては、彼らの

日本統一の足がかりとなる重要な出発点だったのです。

若き日の二ギハヤヒは名前を大歳(おおとし)と言いました。

実は今の金毘羅さんがある場所はその昔「琴平宮」とよばれ

若き大歳の宮殿がありました。これが四国の東の拠点でした。

西にはスサノオの拠点がありました。現在の大三島の

大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)です。

ここには多くの武将がスサノオの日本統一の武勲にあやかり

よろいやかぶとなどの武具を奉納しました。

日本の神社のなかで最大数の国宝や重要文化財が

おさめられています。

四国の離島にある一神社がなぜそれほどの尊崇を集めるのか

という理由がここにあります。

ちなみに二ギハヤヒの孫の乎千命(おちのみこと)がそののちも

ここを守りました。このため四国には越智さんや越知さんが

今でもたくさんおられる理由です。乎千命自らが手植えした

大クスの木が神社にはまだ生きています。

2000年近くの時を経て・・・。

信長や家康など多くの武将がこの神社に祭られた神を

敬愛してやみませんでした。今でも自衛隊の幹部は

必ず参拝に行きます。

続きはまたね・・・グッド!

(クリック拡大)

イッピーの独り言

(大山祇神社の大クスノキ)

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