みんな元気ですか![]()
古代の日本に少しだけ飛びます・・・![]()
以前古代日本の長いシリーズを書きました。
「龍の復権」
では封印された古代日本の神々の事を。
「契約のひつぎ」
では古代エジプトからつながる日本の不思議を。
これらのシリーズの主役は日本の黎明を切り開いたスサノオと
その息子である、ヤマトの初代大王二ギハヤヒでした。
二ギハヤヒは現在の大神(おおみわ)神社に日本で初めての
都を定め、宮殿を造りました。都大路はいまの
「山野辺の道」と呼ばれる曲がりくねった道路です。
灌漑治水を整備し、水路を切り開きました。
当時の日本にはなかった非常に高い技術でした。
中国から徐福が連れてきた優れた技術を持った工人たちの
活躍がありました。
(参照→「秦の始皇帝の野望」
)
水路には特に力を入れました。交易のためです。
商業が栄えることは国の基本です。今の大阪湾は大和のすぐそばまで
海でした。大和川は世界との交易のために二ギハヤヒが切り開き
整備した交易のための重要な水路だったのです。
瀬戸内海は重要な世界に向かって開かれた水路だったのです。
平清盛が厳島神社の赤い大鳥居を海に向かってその威容を
誇示したのもそこを多くの外国船が往来したからです。
二ギハヤヒが造った水路があるから瀬戸内海は栄えたのです。
それに瀬戸内海はスサノオ二ギハヤヒ親子に取っては、彼らの
日本統一の足がかりとなる重要な出発点だったのです。
若き日の二ギハヤヒは名前を大歳(おおとし)と言いました。
実は今の金毘羅さんがある場所はその昔「琴平宮」とよばれ
若き大歳の宮殿がありました。これが四国の東の拠点でした。
西にはスサノオの拠点がありました。現在の大三島の
大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)です。
ここには多くの武将がスサノオの日本統一の武勲にあやかり
よろいやかぶとなどの武具を奉納しました。
日本の神社のなかで最大数の国宝や重要文化財が
おさめられています。
四国の離島にある一神社がなぜそれほどの尊崇を集めるのか
という理由がここにあります。
ちなみに二ギハヤヒの孫の乎千命(おちのみこと)がそののちも
ここを守りました。このため四国には越智さんや越知さんが
今でもたくさんおられる理由です。乎千命自らが手植えした
大クスの木が神社にはまだ生きています。
2000年近くの時を経て・・・。
信長や家康など多くの武将がこの神社に祭られた神を
敬愛してやみませんでした。今でも自衛隊の幹部は
必ず参拝に行きます。
続きはまたね・・・![]()
(クリック拡大)
(大山祇神社の大クスノキ)

