聖書と仙人 29 銀河のエネルギーと以心伝心

みんな元気ですかドキドキ

このシリーズも終章に近づいています・・・グッド!

銀河の中心核のエネルギー波動は命を生み出している事を

いままでご紹介して来ました。

このエネルギーは銀河の思いのパワーです。

銀河は生きています。意識があります。

このシリーズを終わる前にもう一つ以前ご紹介した話を掲載します。

クリシュナムルティと言うインドの哲学者が言いました。

「見つめるものが見つめられるもの」 

夜おそく疲れたサラリーマンが帰宅の満員電車で吊革につかまって

何気なく窓を見ていたらそこに写っている美女と目があった。

お互いに通じるものがあって・・・そこで二人はニヤっと笑う・・・

って話じゃなくて・・・(すいません、ギャグです・・・あは!)

彼が言っているのは例えば

自分が空の雲を見つめていたら実はその雲が

自分を見ている可能性があるということ。

森の中で木を見ていたらその木が自分を見ているかもしれない。

この世はすべて一つにつながっている。

としたらおきることはすべて必然。

意味があって起きている。

一方でこうも言います。

すべての事象は自分が引き寄せて見ている舞台ドラマのようなもの。

でも自分だけが主役じゃない。

周りのみんなもそれぞれの主役を演じているのかもしれない。

だから相手は必然があってこちらを見ていた。

もし風に意識があるとして、自分が頬を通り過ぎる風を感じたら

その風もあなたの頬の感触を感じていたかもしれない。

ボクは思うんだ・・・

これは対象物がすべてお互いに干渉しあっていると言うことを

分かりやすく言っているんだって。

それにこのことはシンクロニシティーが起きる理由を

別の言い方で説明しているのかもしれないなって。

例えば誰かの事を思ったらその人から電話がかかってくる

これはこちらの(主観者の)一方的なシンクロ。

でも相手にとっても何かのシンクロの可能性がある。

あるいはその人にとっては未来に起きることへの伏線

原因と結果のつながり・・・。

あるいは因果のつながり・・・がそこには色濃く見えます。

素粒子物理学の世界でも純粋な観察者は

存在しないと言われています。

観察者がいると必ず観察対象物に影響を与えるから。

これを簡単に説明すると

超高性能の電子顕微鏡で微粒子の衝突を物理学者が

観察しているとします。

その物理学者が予測します。ぶつかった微粒子が右に飛ぶ・・・

と思ったらそれが右に飛びます。

左だと思ったら・・・左に飛びます。

観察者の想念が観察に影響を与え

結果にどうしても参加してしまうんです。

つまり純粋な観察者の立場と言うのはないんです。

別の角度から見るとこれが「祈りの力」。

こうやって祈りは必ず届きます。

だから見つめるものは見つめられるもの・・・なんです。

でも昔の人は難しい理屈は言わなくてもこのことを知っていました。

それを以心伝心と言います。

終章に続きます・・・グッド!

イッピーの独り言

(きょうの話は少しむずかしいかなぁ・・・汗

ペタしてね