大地との会話 28 再びスサノオ

みんな元気ですかドキドキ

スサノオの原点・・・グッド!

少しだけ「古代ペルシャ王の道
」に話を戻します。

この王の道「Persian Royal Road」は考古学上の調査では

ペルシャ帝国の大王ダレイオス1世によって紀元前5世紀に作られた

とウィキペディアには書いてあります。実際にはおそらくそれ以前から

利用された古道がありそこに新たに道幅を広くして歩きやすいように、

あるいは馬車などが通り安いように整備したものと思われます。

現在でもトルコの観光名所ティヤルバクルの橋はいにしえの昔に

使われたままに残っているそうです。

この道があった為に古代ペルシャの文明はエジプトに通じており、

イッピーの独り言

(スーサのスフィンクス・・・エジプトに影響を与えた?)

さらには先の章で述べたように古代エジプトがレムリア・大和文明と

共通点があることもより具体的にイメージがわいてくるのです。

スサノオの出自に話を戻します・・・

八坂神社の門前町を祇園といいます。

この祇園の「祇」はあの愛媛の大三島大山祇神社の「つみ」と

同じ文字です。祇園はスサノオの手のひらの内と言った

所でしょうか・・・。そのスサノオは祇園では牛頭天王として

知られています。と言うよりも牛頭天王とはスサノオの代名詞です。

牛頭天王とはインドがその起源と言う説もあります。

ヒンドゥーの聖牛と重なります。

実際ははるか遠くエジプトまでさかのぼります。

エジプトではアルクトゥルスの象徴でした。

さらには古代シルクロードを逆にたどるとレムリア・大和文明が

もともとの起源だったと考えます。

この「インドが起源」と誤解されていたことが理由で明治維新の

廃仏毀釈時に牛頭天王は排斥されていました。

牛頭天王は仏教の神だと思われていたのです。

祇園祭りの山鉾巡行では古代のペルシャの絵柄の山鉾がいまでも

多く見られます。

(クリック拡大)

イッピーの独り言

(古代ペルシャの絵柄の山鉾)

旧約聖書に出てきますが、モーゼがユダヤの民を引き連れて

エジプトを脱出する際にエホバの神からきつく叱られる場面が

出てきます。ユダヤの民が牛の偶像を崇拝していたからです。

その牛こそが実はバール神でした。バール信仰は新旧キリスト教に

取っては受け入れられないものだったのです。

人と離れたところで神々(という異星人間)の争いがあったのかも

しれません。

バールは「バール・ゼブル」(崇高なるバール)として崇められていました。

旧約聖書の著者たちによって「バール・ゼブブ」(ハエ)と

名前を変えられ、転じて「ベルゼブブ」となりソロモンの72柱の魔神の

一柱となった事はあまり知られてはいません。

話はそれますが・・・・ここでもシリーズで以前ご紹介した地球の

歳差運動の周期及び太陽系が銀河を一周する公転周期と関係する

72の神秘数が出てきます。太陽系は72年かけて銀河の中心核に対して

角度で1度だけ移動します。

つまりこの72と言う数字は偶然ではありません。

太陽系を超えて銀河の構造の知識を持っていたなにものかが

作ったストーリーの可能性があるのです。

人と離れた神々の争いと解釈する根拠の一つです。

(バール神に関してはウィキペディア→バアル
を参照してください)

キリスト教では今でもベルゼブブが最強の悪魔としてその名前を

言う事さえ忌み嫌われています。

少し昔の話ですが、リンダ・ブレアが子役当時の映画「エクゾシスト」にも

この悪魔の名前は出てきました。

しかし・・・

古代ペルシャ地方ではその名前は尊崇の対象でした。

(シリアのパルミラにあるバアルの神殿)

同じウィキペディアから引用します・・・

「バアル」はカナン地方で崇められていた嵐と慈雨の神。

その名はセム語で「主」を意味する。--中略–

アッカドの雷神アダドの前身でもある・・・」とあります。

これはそのままスサノオの形容詞です。

おまけにかの地でも「雷神」とまで言われています。

スサノオは別名を「雷神」(いかずちのかみ)と言います。

息子二ギハヤヒは「別雷神」(わけいかずちのかみ)の別名を持ちます。

これは偶然とは思えません。

明らかなつながりがあります。

続きはまたね・・・グッド!

イッピーの独り言

(もう一度・・・牛頭天王・スサノオ)

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