大地との会話 26 スサノオのルーツを求めて 聖なる牛の遥かなる旅

みんな元気ですかドキドキ

スサノオのルーツはペルシャに?・・・グッド!

このシリーズ20章聖なる牛の遥かなる旅ーシルクロードは逆だった

でお伝えしましたがアルクトゥルスの星に導かれ、聖なる牛は

古代レムリア・やまとびとと共に、日本を起点にシルクロードを西へ西へ

と旅をした可能性があります。

一部はエジプトに、そして一部は古代ペルシャのルートをたどって

ゾロアスターそしてヒンドゥーの世界にまで到達しました。

エジプトではファラオは必ずアルクトゥルス(聖牛)とシリウス

(アヌビス)の両方に毎日祈りを捧げました。ヒンドゥーでは牛は

もちろん聖なる動物です。犯すべからざる存在です。

日本語の「こっとい」は「特牛」と書きます。アルクトゥルスの象徴の

聖なる牛です。アルクトゥルスは古代レムリア・やまとの守り神でした。

一方・・・

エジプトのツタンカーメンの胸飾りにあるヒエログリフを「ひふ(日経)る

あむひ(天日)・・・」と豊国文字で読むことが出来ることをご説明しました。

「ひふる」とは「ひーぶる」つまり「ヘブライ」の語源と言われています。

エジプトでは古代ヘブライ語が使われていました。

そのエジプトからユダヤの民数十万を引き連れて、モーゼが目指した

約束の地「カナン」は古代フェニキアにありました。フェニキアも古代

ヘブライ語圏にあります。そのフェニキア人は海洋民族です。

日本にまで到達していました。ふるさと帰りをしたのでしょうか。

日本海側の海岸には北から南まで古代フェニキア文字のペトログリフ、

石や岩に刻んだ古代象形文字が沢山発見されています。安芸の宮島の

弥山(みせん)の山頂には大きな岩がごろごろしています。その岩にも

ペトログリフが沢山見つかります。いぜん冬に訪れた時に撮った写真に

無数のオ―ブが写っていました。弥山の山頂は巨岩の影響もあり特に

エネルギーが強い場所のようでした。その写真は無くなってしまいました。

アップできないのが残念です。

さて・・・

スサノオと古代ペルシャの関係を探ります。

「神々の指紋」を書いたグレアム・ハンコックによれば1万2千年

前にはアラビア湾は海ではなく川でした。

今のチグリス・ユーフラテス川とつながっていました。

ペルシャ湾とも言いますがサウディ・アラビアとイランに挟まれた

広大な海域で地政学的には非常に重要な海域です。

その地域の豊富な地下資源のために国際紛争が堪えません。

この海は以前はありませんでした。

大洪水で広大な土地と文明が海に沈んだのです。

ハンコックによればアラビア湾や紅海は潜ればすぐにでも古代遺跡が

発見されるそうです。海底古代遺跡の宝庫です。エジプトとも近く

ピラミッドやスフィンクスの謎の解明のヒントになる手掛かりが

見つかるかも知れません。

ちなみに地質学の最近の研究報告では1万2千年前の氷河期の

終わりに世界各地を襲った大洪水では今のヨーロッパ全土と中国を

合わせた以上の広さの土地と文明が徐々に海に沈んだとされています。

土地の形成によっては一瞬で・・・例えば一晩で・・・沈んだ場所も

あるようです。

(参照→YouTube Graham Hancock Presenting

このペルシャ湾のイラン側(古代ペルシャ)に沿ってエラムと言う王国が

紀元前3200年頃から紀元前539年まで存在していました。

これだけでも相当長い間栄えた王国です・・・。

これは少なくとも考古学上で分かっている年代です。

下の写真がエラムの支配地域だったとされています。

しかし実際は大洪水以前より存在していた文明だと想像するのです。

(ウィキペディアより)

イッピーの独り言

(エラム王国)

これは当時の古代の国々の地図です。

独自の言語と絵文字を持ち隣国ともあまり交流がなかったようです。

そのために実態がよく知られていませんでした。

そのエラム人は自らをハルタミまたはハタミと呼んでいました。

(参照ウィキペディア→エラム

日本語と似ています。

「ハル」あるいは「ハ」の民なんです・・・。

続きはまたね・・・グッド!

(長旅はゆっくり行くです・・・グッド!

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