ネバダの憂鬱 16 能登半島羽咋(はくい)市はUFOでにぎわう町

みんな元気ですかドキドキ

異星人の願い・・・グッド!

バーリッシュ博士によるとエリア51内でマジェスティックのメンバーと

異星人と定期的会談が開かれていました。

お互いに様々な内容の取り決めをするためだったといいます。

異星人の技術移転に関する条件や、地球人を特別なケースを除いて

決して拉致してはならないなど、お互いが対等の立場で話し合いや

取り決めがなされたようです。その時会議室にいたのは常時5~6人

程度だったと言います。異星人の二人ほどはいつも気密のカプセル

に入ってその会議に参加していたそうです。今でいうとセグウエイが

すっぽりと覆われていて潜水服のように気密状態が保たれていて

自由に部屋の中を動き回れる乗り物のようでした。この二人は

地球の磁気や大気の密度が合わずこの装備が必要でした。

ほかの4人も地球の密度と合わないために常に慢性の体調不良

に苦しめられていたそうです。それが最初のビデオでご紹介した

尋問のような状態に置かれたグレイタイプの異星人の光景でした。

彼らはロズウエル事件のような墜落事故により連れてこられた

生き残りではなく、自ら地球を訪問している異星人でした。

それぞれが違う星から来た別の種類の異星人だったといいます。

彼らの願いは自分たちの要求が地球全体に受け入れられる相手と

話をすることでした。アメリカ政府は彼らにとっては必ずしも最善の

相手ではないことも交渉の途中で悟ったと思われます。

ただほかにより良い相手がいないという意味では次善の相手である

ことも事実です。アメリカ政府を相手に交渉は続けられました。

彼らは「国際連合」に自分たちの存在を知らせるメッセージを

送ったこともあったそうです。

さらには昨日ご紹介したハワード・ヒューズと接触もしています。

目的はアメリカの中西部に大きなUFO展示博物館のような施設を

作って、人々がいつでもそこを訪れることができるようにすることでした。

そこではワーム・ホールを地球人が体験できる施設も作る予定が

あったようです。しかしこの交渉はうまくいきませんでした。

理由は・・・

異星人の要求はこれを利益追求の目的に使用しないこと。

そしてただちに施設作成を開始して一般の人々にこれを開放する

ということでした。

これに対してヒューズは私財を投じて施設を作ることには賛成しました。

そのかわり完成後2年間は一般に開放することなく、自分の事業目的に

使うことを主張したのです。2年間はビジネスを優先しようとしました。

地球ではまだ未知のテクノロジーを2年間でも独り占めにすることが

できれば彼のほとんどの夢がかなったのかもしれません。

しかしこの点は異星人側の思いとはかけ離れていました。

話は物別れに終わったといいます。

話は戻ります。

国連に対し異星人のメッセージは届いていました。

しかし加盟国はおそらくその扱いに困ったのだと思われます。

結局アメリカと相談することになります。

異星人の願いはふりだしに戻ってしまうのです。

話は唐突に変わりますが・・・

日本の能登半島の先端に羽咋という町があります。

江戸時代よりUFOが頻繁に目撃されている町です。

この町が、20年くらい前のことですが、町おこしにUFO関連の

施設を作ろうと計画しました。空き地に小さなUFO博物館を作ります。

UFOの形をした展示場です。隣は町の小さな喫茶店でした。

以前東京にあるテレビ局に勤務していた市の職員が中心となって

これを推進しました。

(現在の羽咋市のUFO博物館)

彼は世界中の著名人に賛同を求める手紙を送りました。

驚いたことにたくさんの予期せぬ返事をもらいました。

当時の首相中曽根氏や旧ソ連の元首相ゴルバチョフ氏や

あるいは元アメリカ大統領ジミー・カーター氏からも応援の手紙が

来ました。町はこの予期せぬ反響に喜びに包まれました。

以来この町おこしは少しづつ着実に成長しています。

(アメリカから送られたアポロ宇宙服)

施設も小さなUFO展示場から増設され少し大きくなりました。

(展示物のほとんどが実物です)

世界各地からの予期せぬ応援の手紙の中には

実は国連からの応援の返事もありました。

世界の指導者にとってUFOや異星人はこの時すでに

絵空事ではなくその存在の重みと地球の未来にとって

何を意味するのか痛いほどわかっていたのかもしれません。

続きはまたね・・・グッド!

(未来を見つめる遠い目のボク・・・目

ペタしてね