やまと大陸の記憶 6 やまとの民は西を目指した

みんな元気ですかドキドキ

旅は西へと・・・グッド!

話は飛びますが・・・

ペルシャ湾に沿ってイラン側に古王国エラムがありました。

(ウィキペディアより)

イッピーの独り言

(古代エラム王国)

エラムの人々は自らをハルタミと呼んでいました。

漢字で書けば「玻流の民」つまり遥かに長い道のりを超えて来た

流浪の民と言う意味に解釈することが出来ます。

確証はありません。もう一つ別の意味に解釈する事が出来ます。

ハルの民とは「バール神」に使える民・・・という意味だったかもしれません。

古代やまと言葉には濁音がありませんでした。

きれいな音を持つ言葉でした・・・。

いずれにしてもこの「タミ」が「民」を表していた事は間違いないのです。

日本語の匂いが強くします。

そしてこのエラム古王国の首都がスーサと言います。

古代ペルシャの憲法である有名なハンムラビ法典もこのスーサから

発掘されており、いまではパリのルーブル美術館に保管されています。

スーサは考古学上で分かっているだけでも、数千年のあいだこのエラムの

首都でした。おそらくは大洪水の後より続いているとすれば実際には

それよりはるかに長い間続いたみやこだったかもしれません。

エラムのアクロポリスには紀元前5000年に作られた宮殿も発見されて

いると言います。

(参照ウィキペディア→スーサ
)

(ウィキペディアより)

イッピーの独り言

(スーサで発見されたスフィンクス/ルーブル美術館蔵)

さらには・・・

古代ペルシャには「王の道」と呼ばれる整備された幹線道路がありました。

(参照ウィキペディア→王の道

全長約2700キロの大路です。日本の北から南の全体よりも長い距離です。

この道のりを伝令が7日間で走破したと言います。

ちなみに江戸時代薩摩から江戸までの参勤交代を歩き詰めで50日ほど

要したと言います。驚異的なスピードです。

この王の道の南の終点はエラムの都スーサでした。

北はシルクロードの西の終点につながり、西に行けばエジプトです。

古代やまとびとがこの道を通って来た可能性があります。

続きはまたね・・・グッド!

(砂漠の旅にはバンダナを・・・グッド!

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