陰陽師の謎 75 異星人との交流

みんな元気ですかドキドキ

そろそろ結論に近づきたいと思います。

陰陽道には当時の数学や科学などあらゆる学問そして

宗教もすべての世界の情報がもたらされていたと思われます。

それどころか陰陽師は異星人との交流もあったと思えます。

想像ですが・・・

百人一首に隠された10桁の魔方陣は紙の上で計算して

できるものではありません。

話は飛びますがあの宇宙の開闢以来の物語である古事記を

口述したのは稗田阿礼という人物です。

この人物の出自は明らかではありません。生没年不詳です。

必要な固有名詞やストーリーなど膨大な量の記憶情報を

太安万侶が書き留めたといわれています。

一説にはこの稗田阿礼とは今でいうチャネラーでした。

スサノオ・ニギハヤヒも霊能者でありチャネラーでした。

当時の陰陽師も多くは霊能者だったと思えるのです。

先に触れた現代のチャネラーである照さんの記事に

宇宙の意識体が小惑星いとかわに接近した日本の宇宙探査船

ハヤブサの故障を修復したことが書かれています。

宇宙に実在する異星人や意識体は時に触れ地球の霊能者に

コンタクトを取っています。

1950年代にアメリカで100名の一般人が選ばれて同じ異星人と

交信を試みるという実験が行われたことがあります。

(参照記事→宇宙人AFFA

この時の交信手段はモールス信号やテレパシーでした。

全員が同じメッセージを受け取っていました。

この時のデータや記録は今でも残されています。

古代の陰陽師は当時すでにこれらの現象の最先端にいました。

陰陽師が異星人や宇宙の意識体とコミュニケーションを

図っていたことはごく自然な事だと思えるのです。

10桁の魔方陣はこのような交信の結果だという可能性があります。

ほかにも可能性はあります。

例えば実際に宇宙船のコンピューターを異星人の指導により

使わせてもらったという可能性もあります。

先に触れた鶴の恩返しのはなしやあるいは異なる時代の多くの

天女のはなしにはどれも多くの共通点があります。

それらの共通点は偶然とは思えません。

おそらく当時の知識では天女と表現することが唯一の

説明の選択支だったと思うのです。

陰陽師は何らかの方法で異星人とコンタクトを取っていたのです。

陰陽道をつかさどる陰陽寮を自らの直属の組織とした天武天皇や

あるいは天智天皇が「天」の名前にこだわった理由も

もしかするとここにあると思うのです。

続きはまたね・・・グッド!

(みんなやさしいしとたち・・・)

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