みんな元気ですか
昨日のつづき・・・
先を急ぎます・・・。
清明は40歳になって天文道を究めようとしました。
初めは学生になるにはずいぶん遅い年令だな~位にしか
思っていませんでした。しかしよく考えるとこれには非常に
深いわけがあるのではないだろうかと思いなおしました。
昨日も述べましたが天文道は日蝕月食を予測します。
そしておそらくこれが最重要の仕事の一つだったと思います。
なぜなら、日蝕月蝕は民を治める為やいくさの敵を欺くために
為政者にとってはこれを知ることは非常に有効な手段でした。
しかし天体の動きの予測は思えばかなり危険な仕事です。
なぜなら日蝕や月蝕を予測して天皇に上奏しますが、もしそれが
ハズレたら想像もしたくないことが待っています。
武士の時代はまだ少し先の事であったあの平安の時代に
切腹のような罰があったかどうかは知りませんが、それ以上のものが
あったことは間違いありません。
平安時代はその前後を含めて決して平安な時代ではないのです。
しかし・・・天文道は正確に天体の特異な動きを予測できたのです。
天体の動きの予測は純粋な数学の世界です。非常に水準の高い
高等数学です。しかもヨーロッパなどの文明社会で中世以降に初めて
唱えられた地動説を完璧に理解していることが大前提です。
古代日本の数学は想像をはるかに超える水準にありました。
平安時代の万葉の和歌を選んだ百人一首の附番が10次の魔方陣で
できていることは以前ご紹介しました。
参照→世にも不思議な百人一首
現代のコンピューターで計算してもかなり時間がかかる魔方陣です。
しかもコンピューターなどなかった時代の事です。
どのような計算技術を使っていたのか全くの謎ですが
その高等数学を持ってすればおそらく日蝕月蝕の予測は正確に
できたのだろうと思います。
そこでさらなる疑問が生まれます。
清明はなぜそれを究めようとしたのでしょうか。
何のためにそれが必要だったのでしょうか。
そしてそこまで進んだ数学がどこから来たのかと言う点です。
なぜそれを究めようとしたかと言う前者の疑問は何となくわかります。
想像ですが・・・
天文道は前回述べたように大内裏にはいり込むための方便だったことも
ありますがそれ以上に目的はあくまでも天文道にある何かを身につける
ことが陰陽道を究めるにあたりどうしても必要だったのかもしれません。
清明ほどの人物が行き当たりばったりで人生計画にかかわるようなことを
行動するとは思えないのです。彼の行動には意味があったのです。
少なくともそう思う事が自然です。
それがこの想像を絶する水準の数学だったと思えるのです。
その理由はこの数学は表向きは天文道に使われていましたが、
もう一つ裏に大きな応用の道がありました。
それは・・・
より強力な封印の技術へ応用することを目的としていたのです。
当時の時代背景において陰陽道の最大の使い道は
「結界」と「封印」だったのです。
続きはまたね・・・
(式神)