みんな元気ですか
前回の続き・・・
先人のおかげで藤原氏の時代はそれまでと比べて格段に豊かな
時代になりました。人々の気持ちにも余裕が出来ました。気持ちに
余裕ができれば人心は芸術にも向かいます。源氏物語にまでは
まだ少し時間が必要ですが万葉集などの和歌・短歌はこの時代に
花咲きます。王朝文学の芽生えです。これが光の部分です。
同時に一方では影の部分も花開きます・・・。
藤原氏は徹底的にスサノオ・二ギハヤヒの存在の痕跡を消しました。
この偉大な日本初代の天皇にゆかりのある記録の焚書を命じます。
多くの神社の社史・社伝・由緒書きが燃やされました。加えて
スサノオ・二ギハヤヒをいただく神社やご祭神の名前を変えさせます。
しかしすべてを消し去ることはできませんでした。以前にも述べたように
藤原氏はすべての民を従わせることはできませんでした。その証拠に
記紀は一定の重みを持ってはいましたが全面的にその時代に
受け入れられたわけでは無かったのです。
人は力で人を従わせることはできません。藤原氏も力で抑え込むことの
限界はよく知っていました。
そこで呪術の登場です・・・。
スサノオ・二ギハヤヒそしてその子孫の主系・傍系すべての繋がりを
もつ一族を封印しました。おびただしい数に上りました。
この封印の技術は・・・恐らく・・・当初は海外から伝えられたと想像します。
その根拠ですが、方位の吉凶つまり風水は易経に由来します。
魔よけの5芒星や6芒星はもともと日本にあったものではありません。
古代ユダヤにその原型があります。
これらを含めて海外からはいって来るすべての物に一番近い位置に
いたのが聖徳太子と秦河勝でした。以前述べたように二人はお互いの
目的のために表裏一体となって協力体制を作っていました。
聖徳太子が政治の奥深くはいりこみ、その政治力の庇護のもと
河勝が表で仕事をします。この外からはいって来た・・・つまり「鬼の術」
は日本で独自の驚くべき進化を遂げたのだと思います。
奈良や京都の主な遺跡・神社仏閣が正確な幾何学模様に配置された
理由もここにあると思うのです。
幾何学模様の角は地脈エネルギーの集結点です。これを結ぶと
結界になります。その中にはエネルギーが流れ込むことがありません。
二ギハヤヒが造った都である大神神社がこの幾何学模様に囲まれて
いることはよく知られています・・・。
同様に箸墓古墳も幾何学模様の中心に組み込まれています。
箸墓古墳が二ギハヤヒの陵墓であると推測する根拠の一つです。
参照→箸墓(はしはか)古墳の謎
この封印の技術に聖徳太子は大きな役割を果たしていたと思われます。
さらには・・・
この封印を解除することはどのような意味を持つのでしょうか。
続きはまたね・・・
(ボク封印をかけられて・・・う、うごけない・・・って、それは抱っこされてるだけなの)
“陰陽師の謎 25 遺跡を結ぶ幾何学模様の謎” への 1 件のフィードバック