みんな元気ですか
魏志倭人伝の疑問・・・
中国の歴史書「三国志」に「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条
という部分があります。略称を「魏志倭人伝」と言います。
(参照ウィキペディア→魏志倭人伝
)
魏志倭人伝という書は実在しません。西暦3世紀末の280年から
297年の間に「陳寿」という著者により書かれました。
これによりますと倭(やまと)には100余国がありました。
100余国の人々を総称して倭人の国と言っています。
この「倭」とは「魏」の国から見て東の野蛮人の土地と言う意味だと
解説されています。しかしこの「倭」は同時に100余国を指し示し全てを
総称して「やまと」と呼んでいます。「倭」という文字から「やまと」という
読み方が出てくることは不自然です。
ちなみに「邪馬台国」は「やまとこく」と読むことが出来ます。
根拠は同じ文字を他の例ではどのような読み方をしているか調べれば
分かります。卑弥呼の後を継いだ女王「台与」は「とよ」と読みます。
三国志の時代の言葉で邪馬台国を「やまたいこく」と呼んだのでしょうか。
まるで日本語です。これも実は不自然です。
話をまとめます・・・
日本はもともと「やまと」の国でした。
あるいはレムリア・やまと文明の一部であったとする根拠です。
ところで・・・
卑弥呼は地位の総称です。個人名ではありません。言わば役職名です。
我々が知っている卑弥呼は実はアマテラスと同一人物であることは以前に
検証しました。
(参照過去記事→女王卑弥呼とアマテラスの秘密
)
裏伊勢籠神社(うらいせこのじんじゃ)の主祭神二ギハヤヒが
卑弥呼(アマテラス)と娘の「台与」(豊受の大神)を二人一緒に宿を
与えていることが社伝の記録に残っています。
さて・・・
スサノオ・二ギハヤヒは藤原氏によって徹底的に封印され
一貫して被害者の立場であることを説明して来ました。
(参照シリーズ過去記事→龍の復権 艮(うしとら)の金神
)
黎明期の日本で成し遂げた驚異とも言える数々の業績があります。
それまでバラバラだった日本を統一してます。その過程で
農業を指導し、治水灌漑を施し、薬草を栽培し民の健康を維持し、
さらには商業を起こし、国を豊かにした業績を考えると、どうしても
スサノオ・二ギハヤヒが封印され歴史の表舞台から消された事は
被害者の立場と映ります。
しかし・・・
100歩譲って藤原氏の立場に立って物を見ると実はそこには藤原氏
の言い分があることも分かります。
その理由には驚くべき内容がありそうです。
続きはまたね・・・
(深い秘密といわれ・・・目をそらすボク・・・)