みんな元気ですか
前回の続き・・・
点を探る旅をもう少し続けます・・・。
スサノオは息子ニギハヤヒと共に日本の黎明期を切り開きます。
スサノオは今の島根県出雲より事をおこします。
ただ出雲大社とは関係はありません。
話しはそれますが・・・出雲大社には大国主命
(おおくにぬしのみこと)が祀られています。
その建物の巨大な威容は当時の人々を圧倒したのだと思います。
遺構が発掘されるたびにその規模の大きさに驚かされます。
ウィキぺディアによれば当初は高さが32丈(およそ96m)
あったと伝えられています。今でいえば30階建てくらいの
高層ビルの高さと言ったところでしょうか。この規模は当時の
国家的事業です。創建は古事記・日本書紀の頃です。
なぜその時代に当時の権力者藤原氏はこのような巨大な
神社を造る必要があったのか・・・。
それこそが封印したスサノオのおひざ元に記紀が主張する
自前でしかも代わりになる証拠が必要だったからです。
大国主命も実在の人物です。
しかし実際は彼はほとんど当時は注目される存在では
ありませんでした。古事記・日本書紀以外に彼の記録はほとんど
ありません。だからこそ藤原氏に利用されて出雲大社の神に
祭り上げられたのです。
話をもとに戻します。
記録に残る事でスサノオが最初に日本統一平定のために動いたのは
やまたのオロチ退治です。記紀では村に災いをもたらす大蛇と戦い
その大蛇の尾から天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を奪い取った
とあります。これは当時の島根の豪族おろち族をうち破った時のこと
だと言う事は以前述べました。
参照→スサノオとヤマタノおろち
この時からスサノオの快進撃が始まります。
不思議な事に彼は一度も戦いに敗れたことがないのです。
スサノオは突然出雲に現れて有力な豪族や、当時四国地方にまで
勢力を伸ばしていたアイヌ族を次々に打ち破って行くのです。
参照→(スサノオの日本統一)
スサノオはオロチ族が鉱害でハゲ山にした山に植林し緑の山に変え、
人々に稲作を教えます。植林の為の種や苗を大陸から何度も
運んできています。スサノオは大海原の航海術にも優れた
技術を持っていました。スサノオの時代から500年も後の遣唐使や
遣隋使の船は何度も海に沈んでいるのです。ちなみに遣隋使や
遣唐使が航海で大陸に辿り着ける確率は半分も無かったのです。
その数百年前にスサノオは一度も遭難することなく
何度も日本と大陸とのあいだを航海しているのです。
稲作の技術も大陸からもたらしました。
ちなみに稲作の稲の語源は稲妻からきています。
嵐を呼び雷を轟かせるあの稲妻です。雨が降れば作物が育ちます。
後世スサノオは陸地でのいくさの神、海でのいくさの神、比類なき龍の王、
雷(いかずち)の神、航海の神といくつもの勇猛なその姿を連想させる
名前を欲しいままにします。それだけ人々の崇敬を集めそして
敵からは恐れられていたと言うことだと想像します。
しかしそれだけでしょうか。突然出雲の国から現れた一豪族が
ほとんど苦労なしに日本を制覇するような快挙を打ち立てることが出来る
のでしょうか。しかもほとんど失敗もなしにです・・・。
彼についた神々の名前はただ彼の人物を表しているだけなのでしょうか。
もしスサノオが本当に雷をとどろかせることが出来たとしたら
何か違った姿が見えて来ます・・・。
そしてスサノオを祀る八坂神社の山鉾巡行の山鉾の不思議な絵柄と
重ね合わせるとそこには何か大きな秘密が隠されているような
気がするのです。
レンズの焦点の先に何かが見えて来るような気が・・・。
続きはまたね・・・
(あちきの本当の姿を見てしまったのかい・・・おまいさん・・・って、野かぜはもう終わったよ・・・)